年間第14主日A年 (マタ11,25-30)

年間第14主日A年 (マタ11,25-30)

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」マタ11,28-30

日常生活で疲れて、安らぎを捜し求めている人が非常に大勢いるようです。その現状を踏まえて、いろいろな気晴らしやストレス発散の方法を商売にする人が増えています。

疲れている人のうちには、キリスト者になれば、安らぎを得られると考えている人もいるのでしょうか。むしろ、キリスト者になるためには、難しい勉強をしなければならないと思う人や、キリスト者になってからいろいろな義務を果たさなければならないと思う人もいるので、余計に疲れるだけだと心配している人の方が多いのではないかというような気がします。

確かに、キリスト者として生きるのは、気楽なことではありません。なぜなら、キリスト者は、自分の望みや欲望のままに生きるのではなく、イエス・キリストの望みに従って生きようとしているからです。自分の望みをキリストの望みに合わせることは、時に難しく、時に苦しいことです。

イエスは、ただ一時的な気晴らしやストレス発散ではなく、私たちの精神的な疲れやストレス、また、他の苦しみの原因となっている問題を、完全に決定的に解決することのできる方なのです。実は、キリストの望みは、私たちの望みに逆らうのではなく、逆に、私たちの最も深い望みを示すものなので、私たちは、イエスの望みに従って生きることによって、心の最も深い望みを満たすことになるのです。私たちは心の最も深い望みを満たさない限り、本当の安らぎを味わうことはありません。

もし、私たちがイエス・キリストを心から愛するようになるならば、自分の利益になると思うようなもののためではなく、イエスに対する愛のために彼に従い、彼に学ぶことでしょう。そうするならば、その「軛」は本当に負いやすく、その「荷」は本当に軽いということを体験することができます。そして、イエスの約束通りに、私たちの心の飢えと渇きが満たされて、一時的ではなく永遠に続く安らぎを、必ず得られるのです。

聖なる父よ、
あなたは、倒れていた世界を、
キリストの死によって
新しいいのちに立ち直らせてくださいました。
信じる者を罪の束縛から解放し、
終わりのない喜びにあずからせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。