年間第18主日A年 (マタ14,13-21)

年間第18主日A年 (マタ14,13-21)

「(主は言われる)なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い/飢えを満たさぬもののために労するのか。わたしに聞き従えば/良いものを食べることができる。あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。」イザ55,2

人間にはいろいろな必要性があります。肉体的な必要性もあれば、精神的な必要性や霊的な必要性もあります。何らかの必要性が満たされていないときには、人間の内面的な安定が崩れます。この不安定な状態は、人間にとって苦しいことです。この苦しみをなくすために、まだ満たされていない必要性を満たすことによって、安定を回復する必要があるのです。

けれども、ここに問題があります。人間が感じている体の痛みとか、空腹とか不満、また、孤独や不安、イライラや心配などのような徴候によって、何かの必要性の満たされていないことが本人に知らされますが、殆どの場合、この必要性を満たすために具体的に何が必要であるかということは知らされていないのです。自分に何が必要かということを正しく判断するために、人間は自分自身をよく知らなければなりません。残念ながら、殆どの人々が自分のことをよく知らないため、与えられている徴候を正しく見分けることができず、自分の必要性を実際には満たせないもの、また場合によって自分に害を与えるものすらを要求したり、それを追求したりしているので、その努力はまったく空しいものなのです。

けれども、人間は自分を知ることによって、自分の真の必要性を知ると同時に、その内に自分には満たすことのできない必要性もあるという事実も知ってしまうのです。そして、真に自分にとって必要な力の源を知らずに、絶望に陥ってしまうのです。もしかして、そのような状態を避けるために、殆どの人々は、自分をよく知ろうとはしないのかもしれません。

イエス・キリストは、いろいろな不思議なわざを行うことによって、人間のいろいろな必要性を満たしましたが、そのわざの目的は、現在の必要性を一時的に満たすことだけではなく、神のことを知らせることも意味しているものでした。したがって、この不思議なわざはただの奇跡ではなく、しるしなのです。イエスが、ただ五つのパンと二匹の魚だけで、五千人以上を食べさせたことによって示してくださったのは、神が人間のすべての必要性を満たしたいと望んでおられる方であり、しかも実際に満たす力のある方で、そしてこの必要性を、必ず人間が期待している以上に素晴らしく満たしてくださる方であるということなのです。

最終的に、創造主である神だけが、私たちのすべての必要性を知っているし、神だけがそれを満たすことができるのです。この事実を聖アウグスチヌスは、次の祈りの言葉をもって表しました。「あなたは私たちを、ご自身に向けてお造りになりました。ですから私たちの心は、あなたのうちに憩うまで、安らぎを得ることができないのです。」

すべてを治められる神よ、
あなたに祈り求める民を顧み、
尽きることのないいつくしみを注いでください。
あなたの似姿に造られた人々が救いの恵みを受け、
新しいいのちのうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。