年間第22主日A年 (マタ16,21-27)

年間第22主日A年 (マタ16,21-27)

「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」マタ16,25-26

当然ながら、私たちは何かをやり出せば、成功したい、つまり自分で立てた計画を実現し、自分の行動の原動力となっている望みを満たしたいと思うでしょう。もし、成功することができないと分かってしまったら、要するに、自分の努力は必ず失敗で終わってしまうと前から分かったら、どうしますか。多くの人は、成功する可能性のない働きに意味がないと思って、最初からあきらめて、何もしないのではないでしょうか。

考えてみれば、私たちが一生懸命に働いて、多くの成功を治めても、何時か必ず死にます。もし、自分の働きによって、ただ自分の肉体的な面だけを生かそうとしたならば、私たちの死は、今までのすべての成功を無駄にするし、人生そのものが決定的な大失敗になるのです。

幸いに、人間には死で終わる肉体的な側面だけではなく、体が滅ぼされても、いつまでも生き続ける霊的な側面、つまり霊魂があります。私たちが、この霊魂を大切にして、生かすように努めるならば、死は人生の最大の失敗ではなく、私たちの人生が完成されるときになり、創造された目的に到達する瞬間となるのです。

イエス・キリストは、言葉と自分の生き方によって、霊魂を生かす方法を教えてくださいました。それは、自分の望みを満たすために、自分が立てた計画を実現するように働くのではなく、すべての人の善を求めておられる神の計画に沿って生き、神の計画の実現に向かって力を尽くして協力することです。言い換えれば、個人的な成功よりも、キリストのように自分が犠牲になっても、愛(他人の善を求めること)と神に対する誠実さを優先することなのです。

全能永遠の神よ、
あなたを愛する心をお与えください。
復活の信仰に生きるわたしたちが、
人々の中で、
絶えずそのあかしを立てることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。