第一講話

神を知ること

PDF

イエス・キリストご自身のこと、イエスの教え、イエスが成し遂げてくださった救いのわざを理解するために、まず、基本的なことを理解しておく必要があります。それは、神のこと、創造のわざ、人間の罪と救いの計画のことです。

人間は、どのように神を知ることができるのでしょうか。

  • 感覚

人間は、基本的に五感を通していろいろな情報を受けています。感覚によって私たちは、見ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうこと、触ることで物事を認識することができます。

けれども、神を含めて、霊的な世界のものを見ることも、聞くことも、嗅ぐことも、味わうことも、触ることもできません。ですから、五感を通して神を認識することはでないということになるわけです。

  • 理性

幸いなことに人間には、感覚以外に、物事を認識するいろいろな方法があります。まず、それは、理性です。理性のおかげで、人間は感覚を通して受けた情報を分析して、別のことを理解し、知ることが出来ます。例えば、考古学者が古代の建物の跡や、その中で、道具とか日常用品などを発見したならば、まず、ここに、知能のある誰かが、すなわち、人間がいたという結論を出して、この人々は、どのような技術をもっていたか、どのような生活をしていたか、というようなことをある程度まで知ることができます。発見したものは、偶然で、自然に出来たという結論を出す人は、誰一人もいないはずです。

実は、同じように、神のことを知ることができます。つまり、私たちの周りの世界、そして、宇宙全体に広がる秩序やその美しさ、その偉大さを見ると、この世界は偶然に出来た、つまり盲目的な力の働きの結果として自然に出来た可能性が全くないと思います。人間が作ったあらゆるものよりも優れて、偉大な宇宙は、人間の知能よりもはるかに優れた知能のある存在、つまり、合理的に考える力と計画を立てる力をもち、さらに、考え出したことを実現する力をもっている存在によって造られたという結論は、合理的で、自然ではないでしょうか。私たちは、このような存在のことを、創造主で、全能の神と呼びます。

  • 信仰

人間は、感覚と理性以外に、信仰を通して物事を認識することも出来ます。それは、宗教的な信仰のことだけではなく、誰かに言われたことや示されたことを信じて、事実として認めるということなのです。

実は、教育が発展している現代の人々の知識のほとんどは、そのような信仰に基づいているのです。というのは、私たちのほとんどの知識は、自分の体験に基づいているのではなく、先生や他の人の話を聞いて、教科書や他の本や雑誌に書いてあることを読んで、また、テレビやネットで見たことが事実であると信じたからこそ、それが私たちの知識になっているからです。

神のことも同じように知ることができます。つまり、神のことを知っている人の話を聞いてそれを信じれば、私の知識になるということです。もちろん、他のことの場合と同じように、話した人が間違っているならば、あるいは、わざわざ私をだますために嘘を付くならば、この知識は、間違ったことになるわけです。ですから、誰に聞くか、誰を信頼するか、ということについて気を付ける必要があるのです。

感覚、理性と信仰以外に、他の人や神を知るもう一つの方法があります。それは、愛することです。私たちは愛することによって他の人よりも深く、愛している人を知ることができると考えている人は、少ないかもしれませんが、自分の経験をよく見つめたら、分かることです。すなわち、私たちは、誰かを愛しているならば、理屈を知らなくても、実際に他の人よりも、この人のことをよく知っているということです。

その一つの理由として考えられるのは、次のようなことです。私たちは、それをはっきりと意識しなくても、誰かに初めて会うと、この人が自分の望みや必要性を満たすために役に立つかどうかという目で見て、この人を評価します。自分の興味や利益を基準にして人を見ていますので、この人を全面的に見るのではなく、ただある側面、ある一部だけ見るわけです。けれども、誰かを愛しているならば、この人を自分のために利用しようと思うのではなし、この人のために善を行いたいと思うので、この人のありのままを見ることができます。従って、この人の一部しか見ていない人よりも、この人のことをよく知っているということになるわけです。

神に関しても同じことが言えます。人間は、神をよく知らないと、神を自分の望みを満たすために利用しようとしますので、神のことを一部しか見ていません。けれども、ある程度、神を知って、愛するようになると、見方は、全く変わります。人間は、神を深く愛すれば愛するほど、段々と深く神を知ることができます。いわゆる神秘家たちが、誰よりも神を愛していますので、誰よりも、例えば、勉強を通してだけ神を知るように努力している人よりも、神を深く知っている人なのです。

神の自己啓示

神が創造してくださった世界を通して神のことを知ることができますが、それは、非常に限られた方法で、間違った結論を出す恐れもあります。幸いに、神が自ら、ご自分自身を人間に知らされました。このような神の働きを、神の自己啓示と呼びます。

もちろん神は、どの時代にも、どの国民の歴史の中においても働いておられますが、すべての国の人々にご自分のことを教えるために、神は、小さな民族であったイスラエルを選んで、その歴史の中で特別な働きをされました。けれども、起こった様々な出来事の中で、また、いろいろな現象を通して働いても、殆どの人がそれに気が付かなかったのです。けれども、神は、この民の中からある人々を選んで、特別な使命とその使命を果たすために特別な才能を与えられたので、この人たちは、様々な出来事や現象の中で、神の働きとその意義を見分けて、民に知らせたから、イスラエルの人は皆がそれを知るようになったわけです。この人たちを預言者と言います。

実は、イエスラエルの歴史の中で行われた神の自己啓示は、完全な啓示のための準備にすぎないものでした。この準備を完成した後、神はイエス・キリストを通して、ご自分のことを完全に現わしてくださいました。そのためにイエス・キリストを知ることによって、21世紀に生きている私たちでも、宇宙万物を創造してくださった神のこと、この世界や人間に関する神の望みとその計画を知ることが出来るのです。

神を知ることに関連する問題

神を知ることは可能であるにも関わらず、神を知らない人が非常に大勢います。確かに理由は、たくさんあるでしょうが、基本的に、神を知るのを妨げる三つの問題があると思います。まず、人間の態度、または、心構えです。二つ目は、私たちが生きている世界を超えている方である神について語る問題、そして三つ目は、書いたものを何も残していないイエス・キリストを知る問題です。次の講話で、この三つの問題ついてお話しします。

目次に戻る