第三講話 

イエス・キリストとその教えを知る方法

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イエス・キリストは、ご自分が神によって遣わされたこと、また、神ご自身の権威に基づいて神のことを教えていたことを示してくださいました。これについて、別の講話で話しますが、今回は、一つ大きな問題について、お話ししたいと思います。この問題とは、次のようなことです。

すなわち、イエス・キリストが、本当に神に遣わされたこと、神についての真実を教えてくださったことを認めたとしても、この教えを知ることは、可能なのでしょうかというような疑問です。というのは、昔も、今日も、イエス・キリストについて、互いに矛盾していることを話す人がいますし、イエス・キリストの教えとして、互いに矛盾していることを教える人もいます。聖書は本当に神のことばであると信じている人は、同じ聖書を読んでも、全く違う結論を出します。

どの教えが、イエス。キリストの真の教えなのでしょうか。どの解釈が、聖書に書かれたことばの真の意味を表しているのでしょうか。このような識別は、可能なのでしょうか。

このような質問や疑問に答えるために、それから、もっと大切こととして、イエス・キリストの真の教え、聖書のことばの真の意義を知るために、イエスご自身が作った「教えを伝える方法」を知る必要があります。

使徒たちの使命と権威

福音記者聖マルコが伝えている通りに(マコ 3,13-15)、イエスは、大勢の弟子たちの中から12人を選んで、彼らに使徒という名を付けました。日本語の使徒という言葉に翻訳されている元のギリシャ語の言葉は、「アポストロス」ですが、その意味は、「遣わされた者」です。この名は、彼らの使命を表します。この使命とは、イエス・キリストが宣べた福音を全世界の人に伝えるということでした。使徒たちは、この使命を果たすことが出来るためにイエスの同伴者になり。イエスが洗礼を受けたときから最後までイエスに従い、イエスの活動を目撃し、言葉を聞きました。それから、イエスはこの使徒たちに、彼らが必要としていた力と特別な権威を与えてくださいました。この権威を与えたときに、イエスは、次の言葉を語りました。

「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。」(ルカ 10:16)また、「あなたがたを受け入れる人は、わたしを受け入れ(る。)」(マタ 10、40)要するに、イエスは、彼らにご自分の名によって、つまり、ご自分の代理として語る権威、また働く権威を与えてくださったということです。

復活されてからイエスは、使徒たちを派遣するときに次の言葉を述べました。「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」(ヨハ20,21)。

「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタ 28:19-20)。

この言葉に基づいて、次のようなことが言えると思います。すなわち、使徒たちの活動は、イエスの活動の続きである、また、使徒たちを通して、イエス・キリストご自身がご自分の救いの働きを続けておられるということです。

使徒たちがこの使命を果たし始めたら、多くの人がイエスを信じて、洗礼を受けましたので、キリストを信じる人々の共同体が段々と発展していきました。聖ルカは、この共同体の生活を次のように描きました。「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」(使 2:42)キリスト者は、最初から使徒たちの教えを通して、イエスご自身とイエスの教えを知り、イエスを信じるようになりました。それから、彼らは、祈りと使徒たちの教えを基礎とした共同生活を通して、イエスとの関わりを深めていました。

復活されたイエスによって使徒として選ばれた聖パウロは、もうすでに50年代に記したコリントの信徒への手紙の中で、当時のキリスト者の意識を表して、使徒たちについて次のように語ります。彼らは、「新しい契約に仕える資格を与えられている」(2コリ3,6)、「キリストの使者の務めを果たしている」(2コリ5,20)、「キリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者である」(1コリ4,1)と。

使徒たちの権威が、教会の初めからキリスト者によって認められたからこそ、教会の中で、互いに矛盾している教えが現れたときに、どの教えが正しいか、どの教えが間違っているかということを識別したのは、やっぱり使徒たちでした。さらに、大きな問題が起こったときに、使徒たちはエルサレムに集まり、話し合ってから共同でそのような決定することもありました。

初代教会の歴史を見るとイエス・キリストの教えは、二つの方法で伝わってきたということが分かります。一つは、口述です。つまり、使徒たちの教え、生活の模範と彼らが作った教会の制度です。私たちは、この方法を聖なる伝統、つまり聖伝と呼びます。もう一つの方法とは、使徒たちとその周りにいた人たちによって作成された書物、つまり聖書です。

教会の教導権

使徒たちは、このように聖伝と聖書に含まれる信仰の遺産を教会に託されたわけですが、それだけではなく、この遺産が守られるために、イエスから与えられた権威を自分たちが任命した後継者に伝えたのです。使徒の後継者である司教たちは、この権威に基づいて、教会の2000年の歴史をとおして、使徒たちが残した信仰の遺産を守り、それを次々の世代に伝えました。間違った教えが現れたときに、使徒たちと同じようにそれを識別し、教えの正しさを決定してきましたが、この決定の基準は、必ず、使徒たちが残した聖伝と聖書でした。聖ペトロの後継者である教皇様と一致している司教たちの、そのような役目は、教会の教導権と呼ばれます。

2000年の間、教会において様々な異端やその他の困難が生じましたが、教会の教導権によって、イエス・キリストの純粋な教えが守られ、私たちに伝えられました。また、教会の教導権を尊重したキリスト者たちは、どんな時代、どんなところや状態に生きても、調和のとれた信仰の理解、互いに補い合う神のことばの解釈を私たちに与えてきました。

けれども、教会の教導権を無視して、聖書を個人的に解釈している人たちは、聖伝に反するような解釈だけではなく、互いに矛盾している様々な教えと述べていて、昔も、現在も、混乱を起こしています。

聖書を個人的に読み、それを黙想し、神ご自身の導きを探し求めることは、非常に良いことですが、聖書を正しく理解するために聖書の作成の過程と聖書の特質を知った上で、聖書の解釈の基準を守る必要があります。

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