聖母のみ心 (ルカ2,41-51)

聖母のみ心 (ルカ2,41-51)

「イエスは言われた。『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。」ルカ2,49-51

イエスのお母さんマリアは、思いがけない出来事を体験したときや、分からない言葉を聞いたときに、それを理解しようとしていますが、理解できない場合には、それを心に納めていました。「心に納めていた」というのは、必要なときにこの出来事や言葉の意味が分かってくるだろうとか、自分にははっきりとは神の働きが見えなくても、父である神がご自分の意志に適わない出来事においても必ず働いてくださっているので、心を開いて、この働きや自分のための導きである神の言葉を受け入れるだけで充分であるという確信を、持っていたということであったでしょう。

私たちは、聖母マリアに倣って、父である神の働きがはっきりと見えても、見えなくても、この働きの意義が分かっても、分からなくても、神の知恵と力を信頼して、できる限り協力しながら、結果を神にゆだねることができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたは聖母のみ心を、
聖霊のふさわしい住まいとしてくださいました。
聖マリアの取り次ぎを求めるわたしたちも、
聖霊の神殿となることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。