イエスが生まれた年の問題。
イエスは、ヘロデが死ぬ前に生まれました(マタ2,1;ルカ1,15)ので、イエスが生まれた年を分かるために、ヘロデの死の年が重要であります。多くの教父たち(Ireneus, Clement of Alexandria, Tertulian, Origenes, Eusebius, Epiphanusなど)は、イエスは、紀元前3/2年の冬に生まれたと考えていました。しかし、Emil Schureは、ユダヤの古代史を書き記したFlavius Josephus (37 AD-95 AD) の本に書き記されている色々なデータに基づいて計算して、ヘロデは紀元前4年に亡くなったという結論を出しました。Emil Schureは,自分の研究を“History of the Jewish People in the Time of Jesus Christ”という本の中で発表しました。この本の出版(1897-1989)以来、ヘロデが紀元前4年に亡くなったとほとんどの学者に認められましたので、イエスの誕生は紀元前4年以前だったと思われるようになりました。
1966年に、W.E.Filmerが、Emil Schureの研究結果をチャレンジしてから、それを疑う学者(Martin, Edwards, Keresztes, など)が増えています。
ヘロデの後継者であった3人の息子の生涯が、彼の死の年の問題に関するデータをもたらす一つの重要な源であります。現在知られているJosephusの文書によれば、3人の息子の一人であったヘロデ・フィリップは、37年間支配した後、ティベリウス治世の20年目に、つまり紀元後33/34年に亡くなったということです。それを計算すると((紀元後)33年間 +(紀元前)4年間 = 37年間)、フィリップは紀元前4年に継承したということになります。しかし、新しい研究の結果、1544年以前のJosephusのすべての本には、「ティベリウス治世の20年目に」ではなく、「ティベリウス治世の22年目に」と書いてあるということが分かりました。つまり、フィリップが死亡したのは、紀元後33/34年ではなく、紀元後35/36年ということになり、継承したのは、紀元前4年ではなく、紀元前1年((紀元後)36年間 +(紀元前)1年間 = 37年間)ということになるわけです。したがって、ヘロデが亡くなったのは、紀元前4年ではなく、紀元前1年であったということが分かります。
新しい王の誕生を知らされたヘロデは、2歳までのすべての男の子を殺す命令を出しました。それによって、イエスは、その2年以内に、つまり紀元前2年か3年に生まれたということになります。おそらく、教父たちが、言っているとおり、イエスが生まれたのは、紀元前2/3年の冬ということを認めることが出来るでしょう。
今まで、このような間違いのために、間違った年の空が調べられたわけで、誰もイエスの誕生を知らせた星を見つけることが出来ませんでした。
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天の物語
これから、星の動きのシミュレーションが出来るソフトを使って、紀元前3年以降から、紀元前1年までの間に、実は、空には、以上の九つの条件を果たす星があったということを説明したいと思います。
紀元前3年9月14日に木星(Jupiter)とRegulusという星との合(conjunction)が起こりました。
太陽系の最も大きな惑星である木星は、昔から神々の王で天の支配者の星として考えられていました。Regulusは、バビロニアでSharu(王様という意味)と呼ばれ、ローマ人もRegulusを Rex(王様という意味)と呼びました。つまり、9月中に、ユダヤの新年がはじまるとき、王を示す二つの星が合となったのです。それだけは、あまり珍しいことではありません。木星とRegulusとの合は、12年置きに起こります。けれども、その後、きっと占星術の学者たちの注目を引いたであろうもっと珍しい現象が起こりました。
Regulusから離れた木星が、
5ヶ月後に、Regulusのもとに戻って2回目の合が起ったのです。
そして、さらに木星はRegulus通りすぎて、3ヶ月後に、また戻って、3回目の合となったのです。
連続の3回の合は、12年毎に起こる1回の合よりも、ずいぶん珍しいことです。(*1) 確かに占星術の学者は、紀元前15年にも、(そのとき空を研究していたならば)同じ出来事を見るチャンスがありました。けれども、今回は、木星とRegulusは前よりもっと近づいただけではなく、3回の合の後に、さらに、非常に不思議なことが起こったのです(恐らく、それは、歴史上初めで、最後の出来事であったでしょう)。それは、Regulusから離れた木星が、数日後(紀元前2年6月17日)に、金星と合となったのです。それは、とても珍しい合でした。肉眼では、木星と金星が一つの星になったように見えました。
実は、木星と金星は、重なったのではなく、互いに「触れる」ほど近づいたのでした。近くから見れば、木星と金星は8に近い形を作ったのです。
太陽系において、最も大きな惑星と最も明るい惑星が、一つの光になって、今まで誰も空の上に見たことのない大きな光となって、どんな星よりも、力強く輝きました。それは、今でも多くのプラネタリウムで(勿論イエスの誕生と関係なしに)見せているほど、非常に珍しく、劇的な出来事でした。この出来事を見た占星術の学者は、その直前に起こった木星とRegulusの珍しい動きの意味について考えはじめた のではないでしょうか。
ユダヤの新年の初めに、しかも、ユダの部族と関連されているしし座の中で(「ユダは獅子の子。わたしの子よ、あなたは獲物を取って上って来る。彼は雄獅子のようにうずくまり/雌獅子のように身を伏せる。誰がこれを起こすことができようか。王笏はユダから離れず/統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。」創 49:9-10)、王の身分と関係ある星の3回の合の後に、最初の合(紀元前3年9月14日)から計算すると、丁度9ヶ月後に(紀元前2年6月17日)王を示す木星は、美と愛の女神を示す金星(ビーナス, ウェヌス)と合し、いつよりも接近し、力強く、誰にも不思議に思われたように輝いた、ということは、きっとユダヤ人の王が生まれたという意味であると解釈したのでしょう。そうして、準備でき次第、エルサレムに向かって旅に出たのでしょう。
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