四旬節第5主日B年 (ヨハ12,20-33)

「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、ご自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり(ました。)」ヘブ5,8-9

「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」(ヨハ12,25)というイエスの言葉の意味を表すために、それを「自分のことを何よりも大切にする者は、自分の滅びを招くが、自分よりも、誰かを大切にする人は、生かされる」という言葉に変えることができると思います。

「自分のことを何よりも大切にする者」とは、誰のことでしょうか。それは、自分の楽しみや満足、つまり自分の要求を満たすために利用できるもの、たとえば物資、植物、動物、人間など何でも利用し、そのものに何らかの害を与えているかどうか、また、そのものを滅ぼしているかどうかを全然気にしない人のことです。要するに、「自分のことを何よりも大切にする者」とは、自分さえ良ければいいと思っていて、誰をも愛していない人のことです。このように生きている人は、意識しなくても、「この世の支配者」と言われたサタンの望みに従いますし、サタンに仕えていますので、この生き方を変えない限り、サタンと同じ運命にあずかるようになっても驚くべきことではないでしょう。

人間は、誰かを愛するようになれば、 “四旬節第5主日B年 (ヨハ12,20-33)” の続きを読む

四旬節第4金曜日 (ヨハ 7,1-2.10.25-30)

「エルサレムの人々の中には次のように言う者たちがいた。『これは、人々が殺そうとねらっている者ではないか。あんなに公然と話しているのに、何も言われない。議員たちは、この人がメシアだということを、本当に認めたのではなかろうか。』」ヨハ 7,25-26

誤った生き方、つまり創造主の意向と同時に人間の本質に逆らうような生き方をしている人は、この事実をある程度まで実感していますので、より安心して、自信を持って生きるために常に自分を正当化したり、同じ生き方をしている人からだけではなく、他の人々からも評価を求めたりしています。イエス・キリストのように、間違っている生き方を評価しない人、特に自分の言葉や正しい生き方によって、彼らの過ちを明らかにする人は、憎まれ、妬まれるだけではなく、誤った生き方をしている人たちの攻撃の対象になることも珍しくないのです。

私たち自身の過ちを明らかにしてくださるイエスに感謝しながら、イエスの導きと支えによってこの過ちを正すことができますように。そして他の人から評価されても、批判や攻撃をされても、安心して正しい道を歩み続けることができますように祈りましょう。

いつくしみ深い神よ、
あなたは、弱いわたしたちをいつも支えてくださいます。
わたしたちが救いの力に強められ、
その喜びを人々の中であかしすることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第4木曜日 (ヨハ5,31-47)

「わたしは父の名によって来たのに、あなたたちはわたしを受け入れない。もし、ほかの人が自分の名によって来れば、あなたたちは受け入れる。互いに相手からの誉れは受けるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちには、どうして信じることができようか。」ヨハ 5,43-44

恐らく、自分の心の望みや霊魂の真の必要性を知らない人にとって、この望みや必要性を満たす約束よりも、この人が良く知っている肉体的な欲望や、精神的な必要性を満たす約束の方が魅力的でしょうし、理解しやすくて、受け入れやすいものなのでしょう。

ますます多くの人が、静かになって、自分の心の叫びに耳を傾け、自分の心の望みと霊魂の真の必要性を認識することによって、創造主である神によって私たちのところに遣わされたイエス・キリストの重要性を、認めることができますように。そしてイエスに近づき、イエスから「真の糧」、つまり心の最も深い望みと霊魂の真の必要性を満たすことによって、人間に永遠に続く最高の幸福を与える恵みを、受け入れることができますように祈りましょう。

聖なる父よ、
心を込めて祈るわたしたちを顧みてください。
あなたの民が償いによっていやされ、
よい業に励み、おきての道を歩み続けて、
主の過越の神秘をふさわしく祝うことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。