四旬節第3土曜日 (ルカ18,9-14)

「徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのファリサイ派の人ではない。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」ルカ18,13-14

恐らく、心の奥底で誰でも正しい人、善い人になりたいと思うものですが、いろいろな理由で善い人になるのは無理であると思い込んで、自分の欠点や悪いところを正当化したり、他の人のせいにしたり、またそれが自分の特徴や性格であると決めつけたりして、それをそのままで生きる人もいれば、自分の欠点や悪いところを無視して、自分がすでに善い人であると信じ込んで、善い人のふりをしている偽善者として生きる人もいます。どちらの場合も、少し気楽になることができても、成長することも、心の望みに応えることもできないのです。

私たちは、自分の欠点や弱点や悪いところを認識しながらも、たとえ自分だけの力では無理であっても、私たちを創造してくださった方の力によって必ず善い人、正しい人になれると信じることができますように。そして、神に心を開いて、最も完全な人間であるイエス・キリストに倣って生きることによって成長し、真に善い人、正しい人になることができますように祈りましょう。

わたしたちの父である神よ、
喜びをもって受難節の典礼を行なうわたしたちが、
御子の死と復活の神秘にあずかり、
その豊かな実りを味わうことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第4主日B年 (ヨハ3,14-21)

「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。それが、もう裁きになっている。」ヨハ3,19

もし、あなたが心から求めているものを見つけた時に、余計な荷物を手にしていたならば、どうしますか。恐らく、殆どの人は、自分の手を自由にするためにこの重荷を下して、空いた手で見つけたものを手に入れると答えるのではないでしょうか。これは、常識だと思いますが、実際に私たちはそのような常識に従わないことが少なくないようです。

私たちが持っているものに執着し、また、物質的な物だけではなく、物事に対する自分の理解や自分の生き方に慣れすぎると、それ無しに生きることはあり得ない、少なくとも、それなしに生きることは難しいという確信を持つようになり、それを失うのを恐れるようになります。そのために、このような執着や慣れが、常識に従うことができない一つの理由になるのです。

けれども、 “四旬節第4主日B年 (ヨハ3,14-21)” の続きを読む

四旬節第3金曜日 (マコ12,28b-34)

「律法学者はイエスに言った。『先生、おっしゃるとおりです。「神は唯一である。ほかに神はない」とおっしゃったのは、本当です。そして、「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する」ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。』」マコ12,32-33

人間は神を深く知れば知るほど、神に対する人間の愛が深まり、愛の表現が変わっていきます。私たちの命をはじめ、私たちを囲んでいるすべてのものが神の賜物であると実感している人は、神に感謝します。神の賜物、働きと言葉が表している神の愛と知恵、また、素晴らしさと偉大さを知った人は神を賛美し、ほめたたえます。神の愛が無条件で、変わることがなく、人間の罪と死よりも強いものであると分かれば、人間は神に信頼し、自分のすべてをゆだねます。賜物よりもその与え主が大事であり、自分の望みを適えるために神の助けを受けるよりも、神から与えられた使命を果たすことが大事であると分かるほどまでに神を知るようになった人は、神と一つになりたいと望み、自分を神に奉献します。

私たちは、ますます深く父である神を知ることによって、神に対する私たちの愛が、神との完全な一致に至るまで段々と深まっていきますように祈りましょう。

全能の神よ、
信じる者の心にいつくしみを注いでください。
あなたの民が正しい道から外れることなく、
永遠のいのちのことばにいつも従うことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。