四旬節第2主日B年 (マコ9,2-10) 

「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。『これはわたしの愛する子。これに聞け。』」マコ 9,7

非常に多くの人々は、とても単純な規則に従って生きているようです。それは何かというと、楽しみや愉快をできる限り増やすことと、悲しみや苦痛をできる限り減らすことなのです。恐らくそのような生き方によって、できる限りの幸せな人生を送れるものと思っているのでしょう。けれども、実際に楽しいものであっても、人に害を与えるものもあれば、苦しみが伴っても、人間のために良いものがあります。幸福を求めてこのような規則に従って生きる人は、害を招いたり、善を拒否したりして、結果的に不幸になっても不思議ではないと思います。

イエスは全く違う規則、決断や選択の違う基準を私たちに与えてくださいます。この基準というのは、楽しみや愉快でもなければ、悲しみや苦痛でもありません。それは愛、つまり隣人のために善を求めることなのです。

確かに人が、この規則に従って愛に生きるなら、大きな喜びを体験することもあれば、大きな悲しみや苦しみを体験することもあります。けれども、この人はどんな目にあっても、愛し続けることができるならば、出会ったすべての人のためにいつも善を行い、必ず人間として成長しますし、そして、何よりも重要なこととして、人間の真の幸福の源である神に近づき、神との絆をますます強めるのです。これこそ、この人にとっても、この人が会う他者にとっても、最善の生き方になるのです。

聖なる父よ、
あなたは「愛する子に聞け」とお命じになりました。
みことばによってわたしたちを養ってください。
信仰の目が清められて
あなたの顔を仰ぎ見ることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第1金曜日 (マタ5,20-26)

「言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。」マタ5,20

神が律法、つまりいろいろな掟や指示、また禁止を与えてくださったのは、人間の心の中で愛を育て、人間の心をご自分に近づけるためなのです。

律法を表面的に守っても、心が神から遠く離れていたがゆえに偽善者であった、律法学者やファリサイ派の人々と違って、律法の精神である愛に生きて、父である神と心を一つにしていたイエス・キリストに倣って生きることによって、私たちの心が清められ、ますます大きな愛で満たされますように祈りましょう。

恵みあふれる神よ、
信じる民が、主の過越の記念を
ふさわしい心で行うことができるよう導いてください。
すべての人に恵みをもたらすものとなりますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第1木曜日 (マタ7,7-12)

「このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない。」マタ7,11

私たちのために善だけを求めて、判断を間違えることもない父である神は、私たちに悪いものとか、有害なものを与えることは絶対にありませんので、私たちは安心して、何でも願うことができるのです。

私たちは、思い通りにならないことがあっても、父である神を信頼して、神との対話を忍耐強く続けることによって、私たちにとって真に価値のあるもの、本当に良いものを知ることができますように祈りましょう。そして価値のないものや、有害なものへのこだわりや執着から解放されて、最善のもの、私たちを生かすものを受け入れることができますように祈りましょう。

全能の父よ、
いつも正しいことを考え、
すすんで実行する力をお与えください。
あなたを離れては滅びてしまうわたしたちが、
あなたの息吹によって生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。