年間第4月曜日 (マコ5,1-20)

「この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。」マコ5,3-5

人間は、全く価値のない物事に何らかの価値があると思ったり、実際に自分に害を与える物事が役に立っているとか、どうしても必要であると思ったりすることがあります。その時は、そんなつもりがなくても、何の価値もないものを大事にしたり、自分に害を与えるものを追求したりしているわけです。このような勘違いをしている人は、大切にしている物事の本当の価値や、価値の無さ、また、この物事から実際に受けている悪い影響に気付いて、価値のない物事や自分に害を与える物事を手放さない限り、自分に本当に必要な善を受け入れることができず、幸せに生きることもできないのです。

ますます多くの人々が、イエス・キリストの教えとイエス・キリストご自身を知ることによって、物事の実際の価値と役割をありのままに見ることができますように。そしていろいろな束縛から解放されて、真に価値のあるものを受け入れることと、正しい道を歩むこと、つまり、自分をも周りにいる人をも生かすような生き方をすることができますように祈りましょう。

すべての人の救いを望まれる神よ、
福者ユスト高山右近殉教者は、福音に忠実に従う道を選び、
すべての地位と名誉を捨て、
祖国から追放されて殉教を遂げました。
わたしたちも、その模範にならい、この世の力や誘惑に打ち勝ち、
決して揺らぐことのない信仰に生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、 わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
聖なる父よ、
あなたをいつも敬い、愛する心をお与えください。
あなたを愛して生きる者は見捨てられることがないからです。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第3土曜日 (マコ4,35-41)

「激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、『先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか』と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。静まれ』と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。」マコ4,37-39

全能の神は、私たちを悪から救うためにイエス・キリストにおいて人間になったこと、また、人間の手から激しい苦しみと残酷な死を受けても、私たちをお見捨てにならなかったことによって、私たちに対するご自分の愛の偉大さを示してくださいました。それにもかかわらず、私たちは何らかの問題や困難、または、他の意外な苦しみに遭った際に、神が私たちが期待しているとおりに私たちを助けてくださらないならば、弟子たちのように神の愛と善意を疑ってしまう傾向があるのではないでしょうか。

私たちはどんな状況においても、神の愛と善意を信頼することができますように。そして神の愛に強められ、その導きに従うことによって、出遭う悪からすら善を引き出すことができますように祈りましょう。

全能の神よ、
あなたのゆるしは限りなく、
そのあわれみはすべてに及びます。
あなたを探し求める人に恵みを注ぎ、
水遠の喜びを与えてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

1月28日 年間第4主日B年 (マコ1,21-28)

「人々は皆驚いて、論じ合った。『これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。』イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。」マコ1,27-28

イエスは、他の人よりも大きな力を示したので、彼の評判が早く広まって、大勢の人々がイエスのもとに集い、イエスに従うようになりました。けれども、イエスが逮捕された後に、ほとんど皆がイエスから離れてしまいました。イエスを逮捕した人たちの方が、イエスより大きな力を持っていると思うようになった人たちは、イエスを迫害していた権力者の味方になって、権力者らが望んだ通りにイエスの死刑を請求したのです。

この人たちは、イエスから自分の利益になると思うようなものしか求めませんでしたので、イエスと出会っても、イエスの行いや言葉の意味をまったく理解せず、イエスの真の素晴らしさを見出すことができませんでした。結果的に、イエスに対して心を開かずに、イエスが彼らに一番与えたかった賜物、一番価値のあるもの、すなわち、神の愛と神の命を受け入れることができなかったのです。

けれども、イエスが権力者たちに負けたように見えても、十字架に付けられて何もできないようになっても、そのイエスのもとに最後までとどまった人もいました。彼らはイエスを愛していましたので、彼らがイエスに従ったのは、何らかの報いを手にするためではなく、イエスと共にいるため、また、イエスに奉仕するためでした。彼らは愛の目で見たので、イエスの力強い行いにおいても、イエスの受難や十字架の死においても、無限の愛を、あらゆる悪と死よりも強い愛を、見出すことができましたし、この愛を受け入れることができたのです。

イエスに従っている私たちは、絶えず自分の動機を調べ、必要に応じてこの動機を正すようにしなければなりません。なぜなら、愛のためにイエスに従う人だけが、どれほど大きな力によっても消し去ることのできない絆でイエスと結ばれ、永遠の命にあずかり、この地上においても死を超えてもなお、本当に豊かに生きることができるからです。