年間第1月曜日 (マコ1,14-20)

「ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」マコ1,14

「神の国は近づいた」とは、神の子であるイエス・キリストの到来とともに、神の愛と神の命にあずかる可能性、つまり、人間の創造の目的であり最高の幸福の状態である、神との愛の交わりに生きる可能性が近づいたということなのです。

ご自分の死と復活によって神の国を実現してくださったイエスに感謝しながら、イエスを受け入れることによって、神の愛と命を受け入れ、まだまだ罪と悪に満ちた世界に留まりながらも、イエスと共に生きることによって、神との愛の交わりに生き、神の国を証しすることができますように祈りましょう。

恵み豊かな神よ、
あなたを仰ぎ見る民の、心からの願いを顧みてください。
わたしたちが何をなすべきかを知り、
果たすべき使命を全うすることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

1月14日 年間第2主日B年 (ヨハ1,35-42)

「ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。 そして、歩いておられるイエスを見つめて、『見よ、神の小羊だ』と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。」ヨハ1,35-37

神の指示に従って、ユダヤ人たちは神に小羊や他の動物をいけにえとしてささげることによって神を礼拝したり、いただいた恵みに感謝したり、新たな祝福や犯した罪のゆるしを願ったりしました。これは、そのとき神のことを殆ど知らなかった人たちが神と関わる方法、人間が神に近づくためのその心の状態や理解力に合わせて神が与えられた方法でした。

残念ながら、時が立つにつれて、この儀式は人の心の状態と何の関係もない形式的なものになりました。そのために、人々はそれを行うことによって神に近づく代わりに、神から遠ざかっていったのです。

洗礼者ヨハネは、イエスを見て、彼が「神の小羊」であると宣言しました。「神の小羊」というのは、神が人類に与える捧げ物であるという意味だったのでしょう。要するに、イエスこそ、神が人類に近づく、人々と交わる新しい方法であるということです。

残念ながら、人々はこの賜物を喜んで受け入れる代わりに、神の望みに逆らって、イエスを十字架につけ、殺してしまったのです。もし、人類の歴史がその瞬間で終わったならば、神に近づく希望が完全になくなったし、人類は永遠に神から離れた状態に留まり、つまり、永遠の死に定められたことになったに違いありません。

幸いにイエスは、ご自分を十字架につけた人々のためにゆるしを願ってから、ご自分の命を神にささげました。それによって、イエスは人間が犯したこの最も大きな罪を完全な奉献に変えてくださったのです。この奉献のおかげで、人間が神との親しい交わりに生きることが可能になったと同時に、神の命にあずかることによって、神の子どもになることも可能になったのです。

神の小羊であるイエスのいけにえの実りにあずかるために、今私たちは、イエスの最初の弟子と同じようにただイエスに近づき、イエスと絆を結び、親しい交わりのうちに生きるだけで十分なのです。

天地万物を治められる神よ、
あなたの民の祈りをいつくしみをもって聞き入れ、
世界に平和への道を示してください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、
支配しておられる御子、
わたしたちの主
イエス・キリストによって。アーメン。

年間第1土曜日 (マコ2,13-17)

「イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。』」マコ2,17

どこにでもおられ、何でも見ておられる神が存在しさえしなかったならば、人間は罰せられずに、何の心配もすることなく罪を犯すことができたと思う人がいますが、それは大きな誤解なのです。罪を犯した人が体験しているいろいろな苦しみは、神が与える罰ではなく、罪の結果なのです。医者が病気の人を癒すように、神は罪によって苦しみ、自由を失った人を助け、解放するように働いておられる方なのです。

私たちは、罪を犯すことがあれば、私たちを愛し罪から解放することのできる方が、一緒にいてくださることに希望を見出して、レビのように心を開いて、罪の最終的な結果を味わうことにならないうちに、癒しの恵みをいただくことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び、光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。