年間第29月曜日 (ルカ12,13-21)

「(イエスは)一同に言われた。『どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。』」ルカ12,15

人生において最も確かなものである死は、人が一生の努力を通して手に入れたすべてのものだけではなく、愛する人と命そのものをも奪い取るものとして、人間にとって最悪であり、最も恐ろしいものであります。多くの人は、この恐ろしさや死がもたらす不安や絶望感を少しでも和らげるように、一生懸命に働いたり、遊んだりすることによって、死のことを忘れようとしていますが、このような努力が成功しても、人間は、自分の死を無視することによって人生の大事な部分を見失い、結果的に人生そのものが大きな失敗に終わったとしても不思議ではないでしょう。

私たちは、命の源である神との強い絆を結び、この絆を深めることによって、自分の死を、すべてを失う恐ろしい瞬間から、永遠の命への門、つまり、愛の絆の完成の瞬間に、変えていただけますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたを愛する心をお与えください。
復活の信仰に生きるわたしたちが、人々の中で、
絶えずそのあかしを立てることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第28土曜日 (ルカ12-8-12)

「言っておくが、だれでも人々の前で自分をわたしの仲間であると言い表す者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を自分の仲間であると言い表す。しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の天使たちの前で知らないと言われる。」ルカ12,8-9

人々の前で自分をキリストの「仲間であると言い表す」ことは、言葉の問題ではなく、むしろ行い、生き方の問題であると思います。つまり、どこでも、誰にでも、自分がキリスト者であるということを言うのではなく、どんな状況においても、キリスト者であるということを自分の選択や、他人に対する態度や、自分の行動によって示すことなのです。

周りの人々皆が、キリストの教えに逆らうようなことをするときにも、たとえ批判されても、仲間外れにされても、また迫害されても、キリストの模範と教えに従うことができますように。そしてそのような生き方によって、キリストを証しし、より多くの人々に真の命へ導く道を示すことができますように祈りましょう。

喜びの源である父よ、
あなたに感謝をささげるために、
わたしたちはここに集まっています。
キリストの復活を信じるわたしたちが、
日々の仕事を通して
神の国のあかしとなることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

10月22日 年間第29主日 A年  (マタ22,15-21)

「イエスは言われた。『では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。』」マタ22,21

「皇帝のものは皇帝に…返しなさい」という言葉の意味は割合と理解しやすいものです。支配者に「返す」べきものは、支配者が作成した法律によってはっきりと決められています。国民には、嫌でも決まっている義務を果たすか、義務を果たさずに、同じ法律で定められている刑罰を受けるかという選択しかありません。

聖書には神が与えた掟が書き記されているし、その掟とイエスの教えに基づいて、教会は信者が守るべきことを具体的に決めています。けれども、私たちは 義務的に、場合によって刑罰を恐れて国の法律を守っているような仕方で、神の掟や教会の決まりを守るだけで十分なのでしょうか。それだけで、「神のものを神に返す」ことになるのでしょうか。決してそうではありません。

律法を忠実に守るように努力していたファリサイ派の人たちについて、イエスはこう言われました。「イザヤは、あなたたちのような偽善者のことを見事に預言したものだ。彼はこう書いている。『この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている』」(マコ7,6)、と。心はこの世の支配者や権力者たちから離れていても、彼らが定められた義務さえ果たせば、十分でしょうが、神が何よりも求めておられるのは、私たちの心、つまり私たちの愛なのです。神の掟を守ることは、神に対する愛と信頼の表現であるときだけ、神が喜ぶものになるのです。

イエスは「神のものは神に返しなさい」という言葉を、国民に向けて語っただけではなく、支配者や権力者に向けても語っています。要するに、国民だけではなく、国を治める政治家たちも、神のものを神に返さなければならないということなのです。そのために、支配者たちには神の掟に逆らう権利がありません。もし、彼らが神の掟に逆らうような法律を作成するならば、国民にはそれに従う義務がありません。正しい手段を用いて反対を示してもいいのですが、神の望みに逆らう反乱のような手段を用いる権利はありません。ですから、支配者に従うのではなく、自分の良心に従うことを選ぶ人は、イエスや大勢の殉教者と同じように、神がこの世の支配者の悪よりも力強い方であると信じて、不正な法律が定めている不正な罰を受ける覚悟をする必要があるのです。

喜びの源である父よ、
あなたに感謝をささげるために、
わたしたちはここに集まっています。
キリストの復活を信じるわたしたちが、
日々の仕事を通して神の国のあかしとなることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。