「お前たちは、『主の道は正しくない』と言う。聞け、イスラエルの家よ。わたしの道が正しくないのか。正しくないのは、お前たちの道ではないのか。」エゼ18,25
自分が歩んでいる道は正しいかどうかということを確かめるために、どうすれば良いのでしょうか。それは当然ながら、目指している目標に近づいているかどうかを確認することです。もし、その道を歩むことによって目標に近づいているならば、この道は正しいですが、目標から遠ざかっているならば、正しくないということになります。
人生の場合も、同じことが言えると思います。自分の生き方が正しいかどうかということを判断するために、人生の目的を基準にしなければなりません。けれども、ここに問題があります。人生の目的がはっきりとしないために、多くの人が自分の欲求や欲望を基準にしてしまいます。従って、欲求や欲望を満たすことができるならば、正しい道を歩んでいると浅薄にも思っているのです。
誰でも体験していることだと思いますが、私たちの欲求や欲望は、互いに矛盾していたりして、私たちが求めていることは、必ずしも私たちにとって良いものであるとは限りません。また、欲求や欲望は満たされることによって消えるのではなく、段々と大きくなっていく一方です。そのために、それを道しるべにする人は、たまに満足感や喜びを味わうことがあっても、自分や他人を傷つけることがあるし、苦労してよく動いても、どこにも近づけずに、グルグル回っているだけです。
キリスト者が目指している目標は、はっきりしています。それは、キリストのような人になることなのです。従って、自分の生き方によって、少しずつキリストに似ているようになっているならば、安心してこの生き方を続ければいいわけですが、そうでないならば、この生き方を正して、キリストの道をただ眺めるのではなく、それを実際に歩む人にならなければならないのです。
全能の神よ、
あなたのゆるしは限りなく、
そのあわれみはすべてに及びます。
あなたを探し求める人に恵みを注ぎ、
永遠の喜びを与えてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。