年間第21月曜日 (マタ23,13-22)

「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。人々の前で天の国を閉ざすからだ。自分が入らないばかりか、入ろうとする人をも入らせない。」マタ23,13

律法学者たちやファリサイ派の人々のように、自分が正しい人間だと思い込んでいる人は、ある程度まで、安心感や満足感を味わうことができますが、それは表面的なもので壊れやすいものですので、それを強めるために、この人は、自分と同じような行動をしない人を批判したり、責めたりするのです。

私たちは、自分たちの「正しさ」を頼りにしたり、基準にしたりするのではなく、自分自身の足りないところを意識しながら、父である神のいつくしみ深い愛を頼りにし、神の心に従って生きたイエス・キリストを基準にして、常に自分の心をイエスの心に合わせ、また、自分の思いと行いを、イエスの思いと行いに合わせて生きることができますように祈りましょう。

恵み豊かな神よ、
わたしたちの信仰、希望、愛を強めてください。
すべてに越えてあなたを愛し、
約束された永遠のいのちを受けることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

8月27日 年間第21主日A年 (マタ16,13-20)

「イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。」マタ16,15-16

「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」というイエスの質問に関して、シモン・ペトロは、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。それは正しい答えでしたが、ペトロは自分自身が語った言葉の意味を、まだ正しく理解していなかったのです。

そのときペトロにとって、「メシア」は、政治的な支配者を意味していました。また「神の子」は、イスラエル人や神から特別な使命を受けた人を意味していました。ですから、メシアであり神の子であるイエスは、ペトロにとって、イスラエルの王になる使命を神から与えられた人を意味していました。イスラエルの王になる使命を神から与えられた人に従っていれば、自分がいつかその権力や富にあずかるという期待を持っても不思議ではないでしょう。けれども、そのような自己中心的な動機に基づいて、つまり自分の利益を求め、自分の計画を実現するためにイエスの仲間になる人は、途中、苦しみと出逢えば、ペトロと同じように自分を守るためにイエスを裏切り、イエスから離れる恐れがあるのではないでしょうか。

ペトロがイエスを裏切ったのは、とても悲しいことですが、ペトロはそれによって自分の弱さを知り、また、イエスにゆるされることによってイエスの愛の偉大さを知りました。そのときから、ペトロは自分が求めた目的や自分の計画ではなく、キリストが示してくださった目的に向かって、神の計画の実現に協力するようになりました。動機を変えたペトロは、最後までキリストに忠実に従い、彼の心が完全な愛で満たされたと同時に、彼の最も深い望みも実現されたのです。

永遠の父よ、
約束された聖霊を待ち望むわたしたちの祈りを
聞き入れてください。
移り変わる世界の中にあって、
わたしたちが心を一つにして愛のおきてを守り、
いつもまことの喜びに生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第20土曜日 (マタ23,1-12)

「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。」マタ23,2-3

律法学者やファリサイ派の人々は、神から与えられた力をただ自分の利益のためにだけ用いましたので、表面的には神に仕えるように見えても、実際には、彼らの心が神から遠く離れていたのです。

私たちは、イエスの教えと模範にしたがって、持っている力を自分の利益のためだけではなく、他の人を助けるためにも用いることによって、神との絆、また、他の人との絆がますます強められますように祈りましょう。