復活節第3火曜日 (ヨハ6,30-35)

「イエスは言われた。『はっきり言っておく。モーセが天からのパンをあなたがたに与えたのではなく、わたしの父が天からのまことのパンをお与えになる。神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである。』」ヨハ 6,32-33

  人間は命を伝えることやそれを養うこと、また、命をあやつることができても、それを完全に理解することはできないし、まして命を創ることや、それを永遠に保つこともできないのです。命は神秘的なもので、宇宙万物の創り主である神、命の唯一の源であり、命そのものである神の賜物なのです。神はイエス・キリストをとおして、すべての人々に永遠の命を与えたいと望んでおられますし、イエス・キリストをとおして命という賜物の正しい用い方、つまり、命の与え主の望みに適う用い方を教えてくださっているのです。

私たちは、イエス・キリストとの絆を深めることによって、ますます豊かに神の命を受け入れることができますように祈りましょう。そして、イエスとの愛の絆が完成されて、イエスと一つになることによって神の命に完全に満たされ、神との愛の交わりのうちに永遠に生きることができますように祈りましょう。

いのちの源である神よ、
あなたは、水と聖霊によって新たに生まれた者に、
天の国の門を開いてくださいます。
すべての罪をゆるされた人々が恵みのうちに成長し、
約束された喜びに入ることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

復活節第3月曜日 (ヨハ6,22-29)

「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である。』」ヨハ 6,26-27

イエスを探し求めること、イエスに近づこうとすることは、何よりも大事ですが、私たちは、間違った動機、例えば、自分の野心を実現するためとか、自分の欲望を満たすためというような間違った動機、つまり、イエスが私たちに与えたいものと違うものを求めてイエスに従うならば、必ず失望します。言い換えれば、間違った動機を持っているならば、イエスに一生懸命に従おうとしても、自分の望みを満たせず、求めた幸福を得ることができないだけではなく、私たちの努力は、逆の効果を生み出す恐れもあるのです。

いつもイエスを探し求めている私たちが、イエスが私たちに与えたい賜物の素晴らしさとその必要性を知ることによって、自分たちの野心や欲望から解放されて、イエスが私たちに与えたいと思われるものを求めるようになり、実際にこの賜物を受け入れることができますように祈りましょう。

神よ、あなたは、
わたしたちがまことの道を歩むように真理の光を輝かせてくださいます。
洗礼を受けたすべての人が信仰に反することを退け、
キリストに従って生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

復活節第2土曜日 (ヨハ6,16-21)

 「(弟子たちは)二十五ないし三十スタディオンばかり漕ぎ出したころ、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、彼らは恐れた。イエスは言われた。『わたしだ。恐れることはない。』そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。」ヨハ6,19-21

  弟子たちは、自分の無力さとイエスの力を知って、イエスの力を頼りにしている時だけ、与えられた使命を果たすことができると分かっていても、イエスの姿が見えなくなったら、再び自分の力にだけ頼ることに戻ってしまいました。けれども、イエスが湖の上を歩いて、弟子たちの船に乗ってから、船はすぐに目的地に着いたという体験をとおして弟子たちが学んだのは、イエスの姿が見えなくても、イエスがいつも一緒にいてくださり、いつも支えてくださっているということでした。

私たちはどんなときも、イエスを自分の人生の船に迎え入れ、いつもイエスの力を頼りにすることによって、安心しながら人生の旅を進め、目的地に着くことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたは、ひとり子を通してわたしたちをあがない、
神の子どもとしてくださいました。
 あなたの愛を受けた民が御子キリストに従い、
まことの自由と喜びに導かれますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。