聖家族C年 (ルカ2,41-52)

「イエスは言われた。『どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。』」ルカ2,48-49

イエスがその生みの母であったマリアに向かって語った言葉、例えば、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか。・・・見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マコ3,33-35)という言葉を読むと、イエスは孝行息子ではなかったとか、血の繋がりを大事にされなかったというような印象を受ける人がいるようです。

しかし、もしそれが事実であったならば、イエスは34年間の生涯の内の30年間も家庭生活をされたでしょうか。決してそうではないはずです。やはり、人生の凡そ90%を家族にささげたイエスは、家族の生活は非常に大事であるということを示したと思います。

考えてみれば、非常に多くの場合、血の繋がりがあっても、犬猿の仲の関係に生きる人が多くいます。自分の野心や欲望を優先して自分の子どもに対する責任を怠ったり、また、子どもを虐待したりする親もいれば、自分の両親を敬わずに、ただいろいろな援助や資金の源としてしか見ていない子どもも沢山います。家族の中でいろいろな問題が世代から世代へと伝わることも珍しくないのです。

イエスが聖母マリアに語った言葉によって、血族関係が大切であっても、何よりも大事なのは、神との関係であるということを教えています。神は私たちの幸福を妬むような恋がたきではなく、すべての人が互いに愛し合うことを求めておられる天の父であり、愛の源です。ですから、神との関係を何よりも大切にするということは、他の人間関係を犠牲にすることではなく、神から真の愛をいただくことによって、血族関係を含めて、あらゆる人間関係を癒していただくということなのです。

恵み豊かな父よ、あなたは、
聖家族を模範として与えてくださいました。
わたしたちが聖家族にならい、
愛のきずなに結ばれて、
あなたの家の永遠の喜びにあずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

待降節第4主日C年 (ルカ1,39-45)

「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」ルカ1,45

待降節がまだ終わっていないのに、もうすでにいろいろなところでクリスマスの飾り付けがされていて、クリスマスの雰囲気を味わうことができます。おそらくクリスマスの飾り付けさえすれば、場合によって、クリスマスプレゼントを買い、クリスマス会やクリスマスのミサを予定に入れさえしたら、クリスマスの準備ができたと思う人がいるかもしれません。けれども、クリスマスの準備は本当にこれだけで十分なのでしょうか。主を迎えるために相応しい準備とは、どういうことであるかということが分かるためには、聖母マリアを見つめる必要があると思います。

マリアは天使が伝えた神の言葉を受け入れて、救い主の母になるということを信じましたが、自分の体を特別に大切にしたり、自分の家をきれいにしたり、必要なものを揃えたりして、生まれてくるイエスのために周りの環境を準備したのではありません。天使のお告げの中で聞いたもう一つのメッセージ、つまり年寄りの親類のエリサベトが妊娠しているというメッセージを優先したかのように、急いでエリサベトのところへ行って、数ヶ月の間彼女に奉仕していたのです。

主のはしためであったマリアは、人に仕えることこそが、神に仕えることであると知っていました。自分が神の子の母になるということが分かっても、偉そうにしたり他の人から奉仕を求めたりしたのではなく、かえって、以前以上にもっと力を尽くして他の人に奉仕していたのです。マリアはエリサベトに仕えることによって、まだ生まれていなかったイエスにも仕え、その誕生のために準備していたとさえ言えると思います。

私たちもマリアの模範に倣って、待降節の残りの時間を特に隣人愛の実践のために使うならば、クリスマスの準備を完成させるに至るに違いないと思います。

恵み豊かな父よ、
わたしたもの心にいつくしみを注いでください。
みことばが人となられたことを信仰によって知ったわたしたちが、
御子の苦しみと死を通して復活の栄光にあずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。