年間第14主日B年 (マコ6,1-6)

「イエスは会堂で教え始められた。多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。『この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。』」マコ6,2

イエスはナザレで育てられたので、ナザレの人々はイエスのことなら、良く知っていると思っていました。確かに、彼らはイエスの職業とか、お母さんや親戚の名前とかを知っていました。けれども、最も大事なこと、イエスの最も大切な特徴を知りませんでした。それはどういうことかというと、イエスの父は神ご自身であるということです。やはり、イエスは神の子であることや、イエスはすべての人を救うために、この世に父である神によって遣わされたこと、また、イエスの知恵と力と愛が、神ご自身の知恵と力と愛を示していることを知らない限り、イエスを本当に知っているとは言えないのです。

その意味で、イエスの弟子たちもこの時点では、イエスをまだ知りませんでした。けれども、弟子たちはナザレの人たちと違って、イエスを知らないということを意識していましたし、そして、イエスを知るようになるために、開かれた心を持って、イエスに従っていました。結果として、彼らはイエスの本性を知るようになって、イエスを愛するようになり、自分の人生をイエスと結ぶことによって、神ご自身の命にあずかるようになったのです。

私たちも、弟子たちのようにイエスを本当に知るようになりたいならば、イエスをまだ十分に知らないという事実を認めた上で、イエスについての言葉だけではなく、イエスご自身の言葉を聞き、そして聞いた言葉を楽しんだり、この言葉について論じ合ったりするだけではなく、実際にこの言葉に従って生き、この言葉によって自分自身が変えられることを、承諾しなければならないのです。

聖なる父よ、
あなたは、倒れていた世界を、
キリストの死によって
新しいいのちに立ち直らせてくださいました。
信じる者を罪の束縛から解放し、
終わりのない喜びにあずからせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第13主日B年 (マコ5,21-43)

「神が死を造られたわけではなく、命あるものの滅びを喜ばれるわけでもない。生かすためにこそ神は万物をお造りになった。世にある造られた物は価値がある。」知1,13-14

神が人間を創造されたのは、人間とご自分の命を分かち合うためなのです。言い換えれば、神の命にあずかることが人生の目的であって、人間にとって最高の幸福の状態なのです。

残念ながら、昔も今も多くの人は神のことを、自分と何の関係もない存在や、自分の幸福を妨げるもの、また、自分の不幸の原因として考えて、神を全く無視するか、神を恐れたり憎んだりして、なるべく神と関わらないようにしています。

多くの人が神について以上のように考えても、また、神に対してそのような態度をとっても、幸いにも、神はご自分の最初の望み、人間の創造の理由であったこの望みを捨てることなく、一人ひとりをご自分のもとに導くように、そしてご自分の命にあずからせるように絶えず働いておられます。神の子であるイエス・キリストの言葉と行いが、このような神の働きの最も重要で、決定的な部分なのです。

人間になった神の子は、人間に分かりやすい方法で、神が人間の一番力強い味方であるということと、神こそが、人間のために豊かで、充実した生活を求める方であるということを示し、神だけが人間をありとあらゆる苦しみや危険から救い、永遠に続く幸福を与えることのできる方であるということを、示してくださったのです。

イエスの証しを信じて、神のもとに集まって、神の命にあずかるようになった私たちは、イエスの働きを続ける使命を与えられています。私たちは、命の源である神の愛を感謝しながら、この愛に忠実に生き、死ではなく命をもたらすことによって、与えられた使命を果たすことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び、光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。