聖木曜日 (ヨハ13,1-15)

「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」ヨハ13,15

最後の晩餐の時点で、ペトロは、イエスの教えもイエスの行いもまだよく分かりませんでしたし、イエスを十分に愛していなかったがゆえに、イエスに最後までついて行くことができませんでした。確かに、ペトロはいろいろな意味で弱くて、不完全な人間でしたが、イエスが言われた通りに、ペトロは心からイエスの愛に応えたいと望んでいたのです。そのためイエスは、ペトロがいつか必ずイエスの教えや行いを理解することができるようになり、イエスご自身が歩んだ愛の道、つまり、いつくしみ深い父である神のもとへと導く道を歩めるようになり、多くの人々をこの道に導くようになるという確信を持っておられたのです。

私たちは、自分の限界を認識しながらも、ペトロの姿に励まされ、自分自身に対して忍耐を持って、イエスから学んだことを実践することによって、ますます力強く愛の道を歩み、完全な愛に辿り着くことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたのひとり子は死に向かわれる夜、
食事をともにして、
新しいいけにえ、愛のうたげを教会におゆだになりました。
この晩さんの偉大な神秘にあずかるわたしたちが、
キリストの愛を受け、生きる喜びに満たされますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

受難の水曜日 (マタ26,14-25)

「イエスはお答えになった。『わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る。人の子は、聖書に書いてあるとおりに、去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった。』」マタ26,23-24

人間は、愛に生きるために創造された存在ですので、愛に生きるときだけ人間らしい生活を送りますし、完全な愛が人間にとって最高の幸福なのです。この事実は、人間の心に深く刻まれているがゆえに、それをはっきりと意識しなくても、誰でも愛を求めて、それを絶えず探しているのです。けれども、愛を見つけても、それに忠実に生きる代わりに、イスカリオテのユダのようにそれを裏切り、自分の快楽や他の利益のためにこの愛を利用しようとしている人は、不幸ですし、回心しなければ、正にイエスが語っておられる通りに、「生まれなかった方が、その者のためによかった」ことになるのです。

私たちは、与えられている愛に忠実に生きることによって成長し、この愛を出会う人と分かち合うことができますように祈りましょう。

神よ、
あなたはわたしたちを悪の力から救い出すために、
独り子が十字架にかけられることをお望みになりました。
御子の復活の恵みにわたしたちをあずからせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

受難の火曜日 (ヨハ13,21-33.36-38)

「イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。『はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。』」ヨハ13,21

十二人の弟子たちが元々イエスに従ったのは、自分の利益を求めたからです。その内十一人の弟子たちは、イエスを知れば知るほどイエスを深く愛するようになり、イエスに従う動機を変えて、イエスから与えられた使命を果たすことによって、想像した以上に豊かな人生を送ることができましたし、その生き方によって数え切れないほど多くの人の人生を、豊かなものにすることができたのです。けれども、自分の動機を変えられなかったイスカリオテのユダは、イエスを裏切って、イエスを殺そうとした人々の手に彼を引き渡しただけではなく、自分自身も滅ぼしてしまったのです。

私たちが、イエスに従う自分の動機を認識することができますように。そして、必要に応じてそれを正すことによって、神の子ども、イエスの弟子として、ますます誠実に生きることができますように祈りましょう。

全能、永遠の神よ、
主キリストの受難の神秘を記念するわたしたちが、
罪の赦しを受けることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。