受難の月曜日 (ヨハ12,1-11)

「イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。」ヨハ 12,2

命をはじめ、すべてのものの与え主である神は、人間から何も必要とされておられませんが、ただ私たちの愛だけを求めておられるのです。

私たちは、ラザロ、マルタとマリアに倣って、イエスと共に食卓を囲み、イエスに奉仕し、私たちの最も大切なものをイエスにささげることによって、イエスに対する愛を表すことができますように。そして、ますます深い愛の交わりのうちに生きながら、日常生活において出会う人に神ご自身の愛を現すことによって、多くの人々を父である神のもとに導くことができますように祈りましょう。

全能の神よ、
弱さのうちに倒れてしまうわたしたちを顧み、
独り子の受難の力によって強め、
立ち上がらせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第5土曜日 (ヨハ11,45-56)

「そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。『この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。』」ヨハ11,47

もし、イエス・キリストが、ご自分に対して敵意を持っていた人々と同じように、ご自分の命を最優先にしていたならば、イエスの命を狙う人がどれほど大きな権力を持っていても、その狙いを適えることはできませんでした。イエスを殺害する計画を立てた人たちがその計画を実現することができたのは、イエス・キリストがご自分自身を彼らの手に引き渡したから、また、すべての人を罪の束縛から解放するためにご自分の命を全く自由に奉献してくださったからです。

明日から始まる聖週間の典礼に参加し、この地上でのイエスの最後の数日間を記念し、それを想起することによって、イエスの愛の偉大さを一層強く実感し、信仰、信頼と愛の絆によってイエスと一層固く結ばれ、どんな状況においてもイエスに忠実に従うことによってイエスの愛に応え、それを他の多くの人々に現すことができますように祈りましょう。

救いの源である神よ、
聖週間を迎える今、あなたの民に豊かな恵みを注いでください。
洗礼の恵みを受けたわたしたちが、
洗礼志願者とともに、選ばれた民として主の過越に近づき、
その喜びにあずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

受難の主日B年 (マコ11,1-10;マコ15,1-39)

「そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。』」マコ 11,9-10

エルサレムに入城されたイエスを王様として歓迎している群衆を見ると、イエスの活動は大成功したように見えます。その時、イエスに従った弟子たちは、イエスの仲間であることを誇りに思っていたに違いないと思います。けれども、ホサナ(私たちを救ってください)と叫んだ群衆は数日後に、「十字架に付けろ」と叫ぶようになってしまったし、殆どの弟子たちは、イエスの仲間であると認める勇気がなくて、イエスから離れてしまったのです。

恐らく群衆がイエスを王様として迎えたのは、 “受難の主日B年 (マコ11,1-10;マコ15,1-39)” の続きを読む