年間第15主日C年 (ルカ10,25-37)

「『さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。』律法の専門家は言った。『その人を助けた人です。』そこで、イエスは言われた。『行って、あなたも同じようにしなさい。』」ルカ10,36-37

イエスを試そうとした律法学者は、永遠の命への道をよく知っていました。要するに、永遠の命を受けるために、神と人間を愛すること以外に何もないということを、よく知っていたということです。と同時に、自分がこの道を歩んでいないこと、特に隣人を愛していないということも知っていたので、自分を正当化するために、隣人とは誰であるかを知らないと言ったのです。恐らく、この律法学者と同じように、また、イエスが語ったたとえの祭司とレビ人のように、正しいことを知っていても、それを行わない人が大勢いるのではないかと思います。また、彼らと同じように、この状態の本当の理由を探って、見出した問題を解決する代わりに、いろいろな言い訳をする人々も少なくないでしょう。

恐らく、律法学者は、聖書を研究したり、それを教えたりしたので、神殿で仕えた祭司とレビ人のように、神を愛していると考えていたのでしょうが、彼らが隣人を愛していなかったことは、神をも愛していなかったという事実を表していたのです。なぜなら、聖ヨハネが教えているように(1ヨハ4,20)、神を愛している人は、隣人をも愛しているからなのです。実は、神と隣人の愛の掟は、別の掟ではなく、一つの愛の掟の裏表であると言えると思います。神を真に愛している人は、隣人をも愛しているだけではなく、隣人を真に愛している人は、それを意識しなくても、実際に神をも愛しています。誰かが、隣人に対する自分の愛を深めたいと思うならば、神への愛を深めるように努める必要があります。同じように、神への愛を深めるために隣人への愛を深める必要があります。

私たちは、相手の真の素晴らしさ、真の価値を知れば知るほど、ますます深く愛するようになりますので、神の本質と同時に、人間の本質の完全な現れであるイエス・キリストをより深く知ることによって、私たちのキリストに対する愛だけではなく、父である神に対する私たちの愛、また、隣人に対する私たちの愛が深まります。ですから、ますます大きな愛に満たされて生きるために、イエス・キリストをもっと知るように努める必要があるわけです。

けれども、愛は、何よりも、実践されることによって発展しますので、私たちの現在の愛がいくら小さいものであっても、良いサマリア人のように全力を尽くしてこの愛に生き、それを実践しなければならないのです。

すべてを照らしてくださる神よ、
あなたは、暗やみにさまよう人たちがまことの道に立ち帰るように、
真理の光を輝かせてくださいます。
洗礼を受けたすべての人が、
信仰に反することを退け、
キリストに従って生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第15主日C年 (ルカ10,25-37)

「『さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。』律法の専門家は言った。『その人を助けた人です。』そこで、イエスは言われた。『行って、あなたも同じようにしなさい。』」ルカ10,36-37

イエスを試そうとした律法学者は、永遠の命への道をよく知っていました。要するに、永遠の命を受けるために、神と人間を愛すること以外に何もないということを、よく知っていたということです。と同時に、自分がこの道を歩んでいないこと、特に隣人を愛していないということも知っていたので、自分を正当化するために、隣人とは誰であるかを知らないと言ったのです。恐らく、この律法学者と同じように、また、イエスが語ったたとえの祭司とレビ人のように、正しいことを知っていても、それを行わない人が大勢いるのではないかと思います。また、彼らと同じように、この状態の本当の理由を探って、見出した問題を解決する代わりに、いろいろな言い訳をする人々も少なくないでしょう。

恐らく、律法学者は、聖書を研究したり、それを教えたりしたので、神殿で仕えた祭司とレビ人のように、神を愛していると考えていたのでしょうが、彼らが隣人を愛していなかったことは、神をも愛していなかったという事実を表していたのです。なぜなら、聖ヨハネが教えているように(1ヨハ4,20)、神を愛している人は、隣人をも愛しているからなのです。実は、神と隣人の愛の掟は、別の掟ではなく、一つの愛の掟の裏表であると言えると思います。神を真に愛している人は、隣人をも愛しているだけではなく、隣人を真に愛している人は、それを意識しなくても、実際に神をも愛しています。誰かが、隣人に対する自分の愛を深めたいと思うならば、神への愛を深めるように努める必要があります。同じように、神への愛を深めるために隣人への愛を深める必要があります。

私たちは、相手の真の素晴らしさ、真の価値を知れば知るほど、ますます深く愛するようになりますので、神の本質と同時に、人間の本質の完全な現れであるイエス・キリストをより深く知ることによって、私たちのキリストに対する愛だけではなく、父である神に対する私たちの愛、また、隣人に対する私たちの愛が深まります。ですから、ますます大きな愛に満たされて生きるために、イエス・キリストをもっと知るように努める必要があるわけです。

けれども、愛は、何よりも、実践されることによって発展しますので、私たちの現在の愛がいくら小さいものであっても、良いサマリア人のように全力を尽くしてこの愛に生き、それを実践しなければならないのです。

すべてを照らしてくださる神よ、
あなたは、暗やみにさまよう人たちがまことの道に立ち帰るように、
真理の光を輝かせてくださいます。
洗礼を受けたすべての人が、
信仰に反することを退け、
キリストに従って生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第13主日C年 (ルカ9,51-62)

「イエスは、天に上げられる時期が近づくと、エルサレムに向かう決意を固められた。」ルカ9,51

人類の歴史を見ると、殆どの権力者は、手に入れた権力を弱い人や完全に無力な人々の利益のために用いるのではなく、自分自身や自分の仲間の利益のために用いているということが分かります。また、何らかの悪事を行ったためではなく、権力者に逆らったために罰せられることも、珍しくないでしょう。

以上の経験に基づいて、多くの人は、最高の支配者、最高の権力者である神が、この地上の多くの支配者や権力者と同じように振る舞っておられると、思い込んでいるようです。イエスを歓迎しなかったサマリア人を滅ぼし、復讐しようとしていたイエスの弟子たちも、きっと、このように考えていたと思います。

天から来られた方として、神のことを完全に知っておられたイエスは、多くの人々が想像している神とまったく異なる神を、ご自分の言葉と行いによって現してくださいました。弟子たちに、復讐を禁じることによってイエスが教えてくださったのは、神がご自分に逆らう人々に対して、絶対に罰を与えないし、復讐もしないということなのです。そして、「エルサレムに向かう決意を固められた」ことによって、イエスは神についてさらに素晴らしいことを現してくださいます。

イエス・キリストが、ご自分に対して敵意を持って、ご自分を殺そうとしていた権力者が大勢いるエルサレムに敢えて行かれたのは、この人たちを滅ぼすためではなく、この人たちにも神の愛を現し、回心へと呼びかけ、神との愛の交わりに招くためなのです。確かにイエスは、権力者たちがご自分の証しを受け入れないこと、ご自分の呼びかけと招きに応える代わりに、ご自分を殺してしまうことを知っておられました。それにもかかわらず、エルサレムに行くことにされたのは、苦しみを避けたい、また、ご自分の命を守りたいというような望みよりも、彼らにも神の愛を現したい、彼らを神のもとに導きたいという望みの方が強かったからです。その意味で、エルサレムに行くことは、ご自分に対して敵意を持っていた人に対する真の愛の表現であったとともに、すべての人々に対する神の愛を現す行動でもあったのです。

神の意志に逆らって罪を犯した人間や、大きな悪事を働いて、他の人と神ご自身を傷付けた人さえも愛し続けて、この人の救いを求め、いつも和解と愛の交わりへと招いておられる神に信頼して、神の招きに応える人がますます増え、神の国が発展していきますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び、光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。