年間第6水曜日 (マコ8,22-26)

「イエスは盲人の手を取って、村の外に連れ出し、その目に唾をつけ、両手をその人の上に置いて、『何か見えるか』とお尋ねになった。すると、盲人は見えるようになって、言った。『人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります。』そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。」マコ8,23-25

イエス・キリストが、盲人が完全に見えるようになるまでに、彼と共にいて、忍耐強く彼を癒すために働き続けたように、イエスの力のある働きを見ても知恵の言葉を聞いても、部分的にしか分からなかった弟子たちと、イエスはいつも共にいて、忍耐強く教え続けたのです。

忍耐強く私たちを導いてくださる主イエスに信頼して、イエスと共にエルサレムまで行ってイエスの死と復活を体験し、イエスのことを分かるようになった弟子たちの模範に励まされて、私たちもこの弟子たちと同じように、イエスのことを部分的にしか理解できなくても、イエスに従うことによって、この理解が少しずつ深まり、イエスに対する私たちの愛が完成されますように祈りましょう。

すべてを照らしてくださる神よ、
あなたは、暗やみにさまよう人たちがまことの道に立ち帰るように、
真理の光を輝かせてくださいます。
洗礼を受けたすべての人が、信仰に反することを退け、
キリストに従って生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第8土曜日 (マコ11,27-33)

「イエスは言われた。『では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。』」マコ11,29-30

正しさや真実ではなく、自分の都合や利益を最優先して生きていたがゆえに、洗礼者ヨハネが真の預言者であったことを認めなかった祭司長たちや律法学者たちは、イエスが神ご自身の権威で働いておられることを知らされても、この事実を認めることができなかったのです。

私たちは日常生活において、正しいと思うことや真実であると思うことに、できる限り忠実に生きることによって、まことの正義と真実そのものである神を知り、受け入れることができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたの恵みは限りなく、
人の思いをはるかに超えて世界の上に注がれます。
わたしたちを罪の重荷から解放し、
まことの自由に導いてください。 
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第8金曜日 (マコ11,11-25)

「そして、人々に教えて言われた。『こう書いてあるではないか。「わたしの家は、すべての国の人の/祈りの家と呼ばれるべきである。」/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしてしまった。』」マコ11,17

人間は、宇宙万物の創造主である神との愛の交わりに生きるために創造された存在であるという意味で、「祈りの家」になるように、つまり「神が臨在される神殿」になるように招かれているのです。神との関係を無視して自分の利益だけを求め、この世の富だけで豊かになろうとしている人々は、「祈りの家」になる代わりに、「強盗の巣」、または、実のない葉の茂ったいちじくの木のようなものになっているのです。

神と人間との間の唯一の仲介者であるイエス・キリストとの関係を深めることによって、父である神とのますます親しい交わりのうちに生きることができますように。そして、このような人生が結ぶ実によって私たちが豊かになると同時に、多くの人々が生かされますように祈りましょう。