年間第21火曜日 (マタ23,23-26)

「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。杯や皿の外側はきれいにするが、内側は強欲と放縦で満ちているからだ。」マタ23,25

内面的な次元と外面的な次元が一致していない人間は、苦しんでいて不幸です。律法学者たちやファリサイ派の人は、自分の人生の外側がきれいになるように一生懸命に努力していましたが、内側のこと、つまり心のことをまったく無視していましたので、不幸であったわけです。

私たちは、いつも御言葉に耳を傾け、御言葉に従って生きることによって、自分の思い、言葉と行いを正すことができますように。そして、イエス・キリストとの交わりを深めることによって、清められ、キリストと同じ心を持つことができますように祈りましょう。

あわれみ深い神よ、あなたは、
わが子のために祈る聖女モニカの涙を顧み、 
アウグスチヌスを回心に導いてくださいました。 
この親子の姿に力づけられて、 わたしたちも罪を嘆き、 
ゆるしの恵みを受けることができますように。 
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第20木曜日 (マタ22,1-14)

「『町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。」マタ22,9

神が人間を創造してくださったのは、ご自分の命と愛、と同時にご自分の喜びと幸福を、人間と分かち合うためなのです。人間は、神の言葉を無視して、幸福を自分の手に入れようとした結果、神から離れて、神の愛にあずかることができなくなりました。けれども、イエス・キリストの救いのわざによって、神の愛と神の至福にあずかることが再び可能になったのです。今キリストはご自分の弟子たちをとおして、すべての人々を神が準備してくださった「婚宴」に参加するように、つまり神の命と愛、また喜びと平和にあずかるように招くわけです。

キリストの招きを受け入れた私たちは、既に頂いた愛と喜びに忠実に生きることによって、キリストの招きをより多くの人に伝え、神の愛と喜びにあずかる人々がますます増えますように祈りましょう。

天地を治められる神よ、 
あなたは聖母マリアを、 天の元后、
わたしたちの母としてくださいました。 
聖母の取り次ぎに支えられて、
 天の国の栄光にともにあずかることができますように。 
聖霊の交わりの中で、 
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、 
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
全能の神よ、
あなたのゆるしは限りなく、
そのあわれみはすべてに及びます。
あなたを探し求める人に恵みを注ぎ、
水遠の喜びを与えてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第19火曜日 (マタ18,1-5.10.12-14)

「そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。『はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。』」マタ18,2-3

記憶が間違っていない限り、わたしが早く大人になりたかったのは、大人になったら、大人の指示に従う必要がなくなって、自分のことを自分で決めることができると思ったからです。同じように考えている人々は、大勢いらっしゃるのではないかと思います。けれども、イエスが教えているのは、神の国に入るためには、つまり最高の自分になって、最高に幸せになるためには、以上の意味で大人になるのではなく、子どもにならなければならないということなのです。恐らくイエスが仰っている、「子どもになる」というのは、神を自分の父として認めて、神の導きに従うということなのです。

ますます多くの人々が、すべての人の救いを望んでおられる神を自分の父として認め、自分勝手な望みではなく、父である神の意志を表す神の言葉に従って生きることによって、この世に真の平和が訪れて、神の国が完成されますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたの恵みは限りなく、
人の思いをはるかに超えて世界の上に注がれます。
わたしたちを罪の重荷から解放し、
まことの自由に導いてください。 
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。