イエス・キリストの成長
「イエス・キリストがこのようにされたので、同じようにしましょう」という助言を信徒に与えると、ときに、「でも、イエス・キリストは神でしたので、このようにすることができました。けれども、私は、ただの人間にすぎないものですから、同じようにできるはずがないのです」という返事が戻ってきます。
イエス・キリストがなさったことの中で、私たちにできないことは、本当にあるのでしょうか。私たちには、イエス・キリストが生きたように生きること、イエス・キリストが愛したように、愛することは、不可能なのでしょうか。
この質問に答える前に、まず、イエス・キリストについての私たちの理解を少し深める必要があると思います。
罪を除いて、私たちと同じ人間であるイエス・キリスト
確かに、イエス・キリストは受肉された神のことばであり、神の永遠の御独り子で、三位一体の神の第二ペルソナです。けれども、聖書とカトリック教会が教えている通りに、凡そ2000年前にベツレヘムで生まれたイエスは、罪を除いて、私たちと同じ人間として生まれ、同じ人間として生きていたのです。
まず、聖パウロは、次のように教えています。「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執(コシツ)しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリ2,6-8)。
第二バチカン公会議の一つの文書である「現代世界憲章」の中には、イエスについて次のように書いてあります。「キリストは人間の手をもって働き、人間の知性をもって考え、人間の意志をもって行動し、人間の心をもって愛した。かれは処女マリアから生まれ、真実にわれわれのひとりとなり、罪を除いては、すべてにおいてわれわれと同じであった。」
イエス・キリストの成長と変化
イエス・キリストは確かに、偉大な知恵をもち、非常に大きな奇跡を行う優れた人間でした。そしてそれだけではなく、普段の生活中にも、辛い苦しみの中にも完全に愛することのできる人間であったのです。けれども、最初からそうであったわけではありません。福音記者ルカは、イエスの子ども時代について書いたところ(ルカ2,52)に、イエスは他の人と同じように発達したということを強調しています。すなわち、イエスは背丈だけではなく、知恵も、神と人間に対する愛も成長していたということなのです。
それから、福音記者ルカ(ルカ4,16-30)だけではなく、マタイ(マタ13.53-58)も、マルコ(マコ6,1-6)も、イエスの人生に起こった大きな変化について書いています。この変化は、それを見たナザレの人々、つまりイエスのことを子どもの時から知っていた人々を非常に驚かせるほど以外なものでした。この変化はナザレの人たちにショックを与え、彼らがそれをなかなか認めることができずに、イエスを殺そうと図ったほど大きなものであったということまで言えると思います。
イエスの新しい知恵と力
凡そ30歳であったイエスは、洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後に、故郷のナザレにお帰りになりました。そして、「会堂で教えておられると、人々は驚いて言った。『この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。この人は大工の息子ではないか。母親はマリアといい、兄弟はヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか。この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう』」(マタ 13,54-56)。
ユダヤ人の習慣に従って、イエスは12歳の時から、ナザレの他の男性と一緒に安息日に会堂に集まり、聖書を朗読し、それについて話し合ったり、分かち合ったりしました。30歳のイエスの言葉への人々の反応を見ると、その時までイエスの話し方や振る舞い方は普通であって、イエスはナザレの他の人と同じように話し、同じようなことをしていて、特に目立つようなことがなかったというように推測することができると思います。人々は、イエスのことを、特別な知恵や力ではなく、大工の職業と結び付けていました。けれども、今は、イエスが知恵の言葉を語り、奇跡を行う力を持っています。皆は不思議がっていて、大工の息子が元々持っていなかったこのようなものをどこから得たかと問いかけていたわけです。
イエスの自己理解の発達
イエス・キリストは、罪以外に私たちと同じ人間であり(フィリ2,6-8; ヘブ4,15-16)、私たちと同じように成長し、発達していたので、人生の初めから自分の本性や、自分の使命などを知らなかったということを確実に言えると思います。そのために、イエスは自分が神の子であり、メシアであるということをいつ、また、どのように知るようになったかという問いがイエスのことを理解するために非常に大切なことになるのです。
12歳のイエスが神殿に残って、律法学者たちと話しをしたという福音記者ルカによって描かれた場面から、すでにその時、イエスは神が自分の父であるということ、また、父から与えられた使命を果たすことが何より重要であると知っていたということが分かります。けれども、自分の本性を知っていても、12歳のイエスは神の子として生き、メシアの活動を開始したのではなく、両親と一緒にナザレに戻り、後18年間もヨセフの家に住み、ヨセフの仕事をしていたのです。恐らく、イエスは12歳の時に、自分の本性や使命を知っていても、30歳になるまで、まだ神の子として生きること、メシアの使命を果たすことができなかったと推測することができると思います。
自分の最も深い本性を忠実に生きるために必要であったこの18年間を福音記者ルカが次の通りに描いています。「それから彼は彼らと共に下って行き,ナザレに来た。彼は彼らに服していた・・・そしてイエスは,知恵と背丈においても,また神と人からの好意においても,増し加わっていった」(ルカ 2,51-52)。それは、非常に手短い描写ですが、その期間の本質を理解するために十分です。
最初に出されたこの期間の一つの特徴というのは、従順です。それは、両親に対する従順、特に「恵み溢れる方」への従順でしたが、この従順は、罪を犯したことのない、要するに、神に背いたことのない方の神への従順を現しているのです。ヘブライ人への手紙の中に書いてある言葉(ヘブ 5,8-10))によれば、この従順のためにこそ、イエスが完全な人間となりました。後ほどイエスは、「死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(フィリ2,8)が、恐らく、ナザレの時代にそれは、自分の身分から生じる責任を忠実に果たすことであったでしょう。
イエスは、まずマリアの子で、大工の息子として育てられましたので、イエスにとって従順というのは、懸命に大工という肉体労働をすることでした。同時に、イエスは、ダビデの子孫で、ガリラヤのナザレの住民、ユダヤ教の信徒でした。そのために、イエスにとって従順とは、モーゼの律法を守ること、いろいろな習慣に従い、定期的に祈りをすること、聖書を読み、それを暗記すること、ナザレの会堂で毎週行われた集会に参加すること、毎年エルサレムの神殿へ巡礼し、定められた祭りに預かることでした。
神への従順は、「神への畏れ」を現しています。そして、「主を畏れることは知恵の初めです」(詩111,10; シラ1,14-20)。知恵の書(知8,4)によると、真の知恵は神の神秘を知ることであります。この知恵を持つ人は神の善を現すことができるのです。
そのような発展によってイエスは人間として成熟していました。そして何よりも大切なこととして、段々と神が求めているような人になり、神との愛の交わりを深め、イエスを父である神と結ぶ愛の絆を益々強めていました。そのような発達の結果として、イエスは、自分が神の子であること、メシアであることを強く自覚し、それはイエスにとって最も深い自己認識と同時に最も重要な身分、すなわち、イエスのアイデンティティになったのです。