第四講話

聖書はどのように出来上がったのか

・聖書作成の歴史的な過程・

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聖書は、一冊の本になっているように見えますが、実際に、73冊の本からなっている図書館のようなものです。そのうち、46書は、旧約聖書、27書は、新約聖書です。聖書の最終的なテキストは、大勢の人々の働きの結果、しかも、およそ2000年間もかかったプロセスの結果なのです。

旧約聖書の作成過程

聖書は、現代の意味での歴史の本ではありませんが、実際に起こった歴史的な出来事に由来しています。旧約聖書の場合、それは、イエス・キリストが生まれた凡そ1800年前に生きていたアブラハムの人生に起こった出来事とか、紀元前13世紀に、イスラエルの民族がモーゼによってエジプトから導き出され、シナイ山で神と契約を結び、40年間の砂漠での暮らしの後に、カナンに入植したような出来事です。

このような、歴史的な出来事は、文字として記録される前に、まず数百年の間、口頭で世代から世代へと伝えられてきました。イスラエル人が、この出来事についての記憶をこのように大切にしたのは、これに神の働きを見出していたからです。それから、この出来事から学んだことによって、新しい出来事を理解することが可能になり、新しく生じる困難を乗り越えることが出来ると信じていたからです。

イスラエルの民族にあった様々なグループは、自分の役割や必要性を基準にして、過去の出来事の別の側面を強調したり、新しい出来事に基づいてそれを解釈したりしたから、過去の出来事について、いくつかの伝承が作られました。

このような伝承は、紀元前12世紀、または11世紀ごろから、少しずつ文書化され始めました。イスラエル人は、過去の出来事の記憶を書き記しただけではなく、その経験から学んだ知恵とか、祈りに使った歌、また、その時の重要な人物、例えば指導者や預言者たちの活動とその教えを伝える文書も記しました。

初めの頃、それは、短い文書でしたが、後に、この文書は、合併されたり、歴史的な順とか、神学的な思想に基づいて並ばせたり、編集されたりしました。このようなプロセスの結果として、紀元前1世紀ごろ、旧約聖書の形成が完成されました。

新約聖書の作成過程

新約聖書の作成過程は、凡そ100年間かかりました。旧約聖書の作成過程よりもずいぶん短いですが、基本的に同じプロセスを踏んで、出来上がったと言えます。

  • イエス・キリスト生涯

新約聖書の基礎的な出来事とは、イエス・キリストご自身、イエスの生涯、イエスの行いと教えです。

  • 宣教活動と口承

紀元後33年に宣教活動を始めた使徒たちとその他のキリスト者は、初めの頃、何も書かずに、口頭だけで福音を宣べ伝え、キリストを証していました。この活動は、非常に早く広まっていったので、宣教師たちは、イエスの活動の舞台になっていたパレスチナだけではなく、パレスチナの国境を越えたところでも、この活動を行っていました。もちろん、そこでは、ユダヤ人と違う言語を語り、ユダヤ人と違う習慣や思想でしたし、イエスの死と復活から、数年間、または、数十年間しかたっていなかったにもかかわらず、イエスの時になかったような問題が生じていて、様々な側面で状況が変わっていました。この人々にイエスのことを理解してもらうために、宣教師たちは、イエスの言葉やその行い、またイエスの人生に起こったことを適用せざるを得ませんでした。そのために、福音を宣べ伝えるいくつかの伝承が生まれたのです。

  • 聖パウロの書簡

後程、新約聖書に含まれた最初の文書が記されたのは、50年代の初めです。それは、聖パウロの手紙です。もちろん、聖パウロはこのような手紙を聖書に含まれるために書いたのではありません。ただ、それは、キリスト者の共同体に起こった問題を解決するためとか、いろいろな指示や励ましを与えるため、また教えをはっきりさせ、それを深めるためでした。

  • 福音書

福音書は、聖パウロの書簡と異なる文学類型ですが、その文書の目的は、同じです。

福音記者が福音を書いたのは、全世界の人々のための聖書とか、イエス・キリストの伝記とかを与えるためではなく、自分たちの共同体に最も必要と思ったことを教え、最も必要と思った指示や励ましを与えるためでした。

共同体に伝えようとしたことを理解してもらうために、各福音記者は、持っていた資料、また、自分の経験から知っていたことの中からあるところだけを選び、イエス・キリストの生涯に起こった異なる出来事を強調したり、その順番を変えたりし、イエスの行いと教えの必要と思った一部だけを福音書に乗せたたり、それを編集したりしました。そのために、同じイエスの伝記やイエスの活動の記録に見える四つの福音書の間にはいろいろな相違があるわけです。

  • 文書の広まり

聖パウロや福音記者たちは、それぞれの文書を具体的な共同体のために書き記しましたが、他の共同体のメンバーがそれを読んだら、自分の共同体のためにも役に立つと判断したから、この手紙や福音書を写し、それを自分の共同体の中で使っていました。そのために、この文書は、キリスト者の世界において、早く広まる、非常に多くの写本が作られました。現在まで保管されている新約聖書の写本の数は、驚くほど多いです。(https://lumen-christi.com/wp-content/uploads/2020/05/shahon.pdf 参照)

正典化過程

もうすでに2世紀の初め頃に、キリスト者たちはあるテキストを聖なるもの、つまり、神の霊の導きに従って書かれ、ユダヤ教の聖書と同じように、権威のある書物として認めていました。各共同体は、その書物を集め始め、それを教えるため、また、祈るために用いるようになりました。

4世紀ごろ、多くの共同体は、ほぼ同じ書物を聖書として認めるようなりましたが、極端的に少ない書物、また、極端的に多くの書物を聖書として認める人がいました。そのために、司教たちは、使徒から受けた権威に基づいて、全教会のために聖書として認められる書物の正式的なリスト、つまり正典を決める必要があると判断しました。

新約聖書の27書の正典は、393年のヒッポンの教会会議と397年のカルタゴ教会会議において、教会を代表して集まった司教たちによって承認されました。その後、多くの教皇と公会議によって再確認されました。

このように凡そ300年もかかった新約聖書の正典化の過程において、四つの基準、つまり、聖書に属する文書として承認するための四つの条件がありました。

第一の基準は、文書の使徒性でした。文書の使徒性とは、著者が使徒自身であるということに限らず、何らかの仕方で使徒の伝承につながっているということです。例えば、使徒の弟子や協力者が書いたものや、使徒や弟子が残した資料の収集、その合併や編集の結果として作成されたものです。

第二の基準は、文書の普遍性でした。それは、文書がある特定地方の共同体だけではなく、全教会で通用するものであるということです。

第三の基準は、正統性です。それは、文書全体が、使徒の教えと一致しているということです。

第四の基準は、文書が朗読や教えるために用いられるのみならず、典礼においても用いられるということです。

聖書の作成過程について、もう少しい詳しいことを知りたいならば、「聖書を読む人のための手引き」を読むことをお勧めします。

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