四旬節第5土曜日 (ヨハ11,45-56)

「そこで、祭司長たちとファリサイ派の人々は最高法院を召集して言った。『この男は多くのしるしを行っているが、どうすればよいか。このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう。』」ヨハ11,47

もし、イエス・キリストが、ご自分に対して敵意を持っていた人々と同じように、ご自分の命を最優先にしていたならば、イエスの命を狙う人がどれほど大きな権力を持っていても、その狙いを適えることはできませんでした。イエスを殺害する計画を立てた人たちがその計画を実現することができたのは、イエス・キリストがご自分自身を彼らの手に引き渡したから、また、すべての人を罪の束縛から解放するためにご自分の命を全く自由に奉献してくださったからです。

明日から始まる聖週間の典礼に参加し、この地上でのイエスの最後の数日間を記念し、それを想起することによって、イエスの愛の偉大さを一層強く実感し、信仰、信頼と愛の絆によってイエスと一層固く結ばれ、どんな状況においてもイエスに忠実に従うことによってイエスの愛に応え、それを他の多くの人々に現すことができますように祈りましょう。

救いの源である神よ、
聖週間を迎える今、あなたの民に豊かな恵みを注いでください。
洗礼の恵みを受けたわたしたちが、
洗礼志願者とともに、選ばれた民として主の過越に近づき、
その喜びにあずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

受難の主日B年 (マコ11,1-10;マコ15,1-39)

「そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。』」マコ 11,9-10

エルサレムに入城されたイエスを王様として歓迎している群衆を見ると、イエスの活動は大成功したように見えます。その時、イエスに従った弟子たちは、イエスの仲間であることを誇りに思っていたに違いないと思います。けれども、ホサナ(私たちを救ってください)と叫んだ群衆は数日後に、「十字架に付けろ」と叫ぶようになってしまったし、殆どの弟子たちは、イエスの仲間であると認める勇気がなくて、イエスから離れてしまったのです。

恐らく群衆がイエスを王様として迎えたのは、 “受難の主日B年 (マコ11,1-10;マコ15,1-39)” の続きを読む

四旬節第5金曜日 (ヨハ10,31-42)

「父から聖なる者とされて世に遣わされたわたしが、『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒涜している』と言うのか。もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」ヨハ10,36-38

イエス・キリストは、人々に受け入れられたときだけではなく、誤解されたときにも、迫害され、苦しめられ、十字架につけられたときにも、神の子の身分に忠実に生きたことによって、メシアに関する旧約のすべての預言を実現されて、ご自分が語られた通りに神の子であることを証明されたと同時に、父である神から与えられた使命を果たし、救いのわざをなしとげてくださったのです。

この救いの恵みにあずかり、神の子となった人々が、イエス・キリストと同じように、どんな状況においてもこの身分に忠実に生き、神の栄光を現し、できるだけ多くの人々をキリストのもとに、また、キリストを通して父である神のもとに、導くことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い神よ、
あなたの民の過ちをゆるしてください。
弱さのために犯した罪の束縛からわたしたちが解放されますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。