3月19日 聖ヨセフ (マタ1,16.18-21.24a)

「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。」マタ1,24-25

神に信頼されて、神の御ひとり子とその母マリアを保護するという特別な使命を与えられたヨセフは、直面していた問題を神に解決してもらうようにしていたのではなく、まず自分の知恵と力を尽くして、正しくて最善と思った方法で、この問題を解決しようとしました。けれども、彼は神に向かって絶えず心を開いていましたので、神の導きを見出したら、自分の考えも自分の計画も諦めて、この導きに従ったのです。

私たちは聖ヨセフに倣って、もうすでにいだたいている知恵と力を尽くしながらも、自分の考えや計画ではなく、神の導きと神の計画を優先して、与えられた使命を全うすることによって、多くの人々に神ご自身の愛と命を伝えることができますように祈りましょう。

すべてを治められる父よ、
あなたは救いの神秘の夜明けに、
聖ヨセフをキリストの忠実な守護者に立てられました。
聖人の祝日を祝う教会が、
その祈りに支えられて、
救いのみわざの完成に役立つことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

四旬節第4土曜日 (ヨハ7,40-53)

「この言葉を聞いて、群衆の中には、『この人は、本当にあの預言者だ』と言う者や、『この人はメシアだ』と言う者がいたが、このように言う者もいた。『メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。』」ヨハ7,40-42

イエスがガリラヤの出身であるからとか、祭司長たちやファリサイ派の人々の中にイエスを預言者やメシアとして認めている人がいないから、イエスを信じてはいけないと語った祭司長たちやファリサイ派の人々は、イエスが実際にナザレではなく、ベツレヘムで生まれたこと、議員の中にもイエスを信じている人がいたことを知りませんでした。けれども恐らく、この事実を知っていても、イエスを信じない別の理由を考え出したでしょう。実際に、彼らがイエスを認めたくなかったのは、彼らの心が閉ざされていて、自分たちの罪や生き方を正す必要性を認めることができなかったからです。

心を開いて、イエスを神が遣わしてくださったすべての人々の救い主として認め、罪から解放されて、愛に生きる人々がますます増えますように祈りましょう。

すべてを治められる神よ、
あなたの恵みがなければ、
だれもみこころに適うことができません。
いつくしみに依り頼むわたしたちを支え、
導いてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第5主日B年 (ヨハ12,20-33)

「キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。そして、完全な者となられたので、ご自分に従順であるすべての人々に対して、永遠の救いの源となり(ました。)」ヘブ5,8-9

「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る」(ヨハ12,25)というイエスの言葉の意味を表すために、それを「自分のことを何よりも大切にする者は、自分の滅びを招くが、自分よりも、誰かを大切にする人は、生かされる」という言葉に変えることができると思います。

「自分のことを何よりも大切にする者」とは、誰のことでしょうか。それは、自分の楽しみや満足、つまり自分の要求を満たすために利用できるもの、たとえば物資、植物、動物、人間など何でも利用し、そのものに何らかの害を与えているかどうか、また、そのものを滅ぼしているかどうかを全然気にしない人のことです。要するに、「自分のことを何よりも大切にする者」とは、自分さえ良ければいいと思っていて、誰をも愛していない人のことです。このように生きている人は、意識しなくても、「この世の支配者」と言われたサタンの望みに従いますし、サタンに仕えていますので、この生き方を変えない限り、サタンと同じ運命にあずかるようになっても驚くべきことではないでしょう。

人間は、誰かを愛するようになれば、 “四旬節第5主日B年 (ヨハ12,20-33)” の続きを読む