年間第3月曜日 (マコ3,22-30)

「はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」マコ3,28-29

イエスには悪霊とか自然や病気に対する圧倒的な力があっても、心を閉じている人に対しては殆ど無力なのです。人間を悪から救うために、この人の間違った選択や犯した罪の結果を示すことによって回心を呼びかけること、父である神の無条件の愛を現すことによって、この人を神のもとへ招くことしかできないのです。

私たちは、イエスの招きに応えてあらゆる罪から離れ、父である神との愛の交わりのうちに生きることによって、すべての人々を救いたいと望んでおられるイエス・キリストに、協力することができますように祈りましょう。

全能の神よ、
あなたの支配に逆らう悪の力を滅ぼしてください。
罪から解放されたわたしたちがあなたの国を待ち望み、
正義を行う者となることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第2土曜日 (マコ3,20-21)

「イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。『あの男は気が変になっている』と言われていたからである。」マコ3,20-21

ある考え方や生き方が間違っていて、人に害を与えるものであっても、殆ど皆がこのように考え、このように生きているならば、それが普通と思われて、それと違うものは、普通ではない、変だと思われることでしょう。けれども、「気が変になっている」と言われても、創造主である神の望みに適って生きたイエス・キリストこそが、正常そのもので、健全で人間らしい生き方をしていたのです。

私たちは、どのように思われ、どのように言われ、どのようにされても、周りの人々の考え方や生き方に合わせるのではなく、イエス・キリストに倣って生きることができるように祈りながら、殉教者が持っていたような、大きな愛から生じる勇気の恵みを願い求めましょう。

 

1月21日 年間第3主日B年 (マコ1,14-20)

「イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、『時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい』と言われた。」マコ1,14-15

神は創造してくださった世界を人間の支配にゆだねました(創1,28参照)。支配の本来の意味とは、漢字が示唆している通り「支えると配る」、つまり、自分の支配下にあるものを自分の利益のために利用するということではなく、支配下にあるものの善のために力を尽くして奉仕するということなのです。神が人間に求めておられる世界の支配とは、人間が創造主と協力しながら、この世界を完成へと導くということです。世界を人間の支配にゆだねるというのは、創造のわざにあずかるように人間を招くということです。
残念ながら、人間は神の望みに逆らって、ゆだねられた被造物を自分の欲望を満たすために利用するようになりました。結果的に、人間は神との親しい交わりと自由をはじめ、いろいろな素晴らしい賜物を失い、世界は悪化して、いろいろな不正や病気や災い、また、死がこの世に入り込んだのです。世界は、神が求められているような所というよりも、悪霊が求めているような所になり、神が支配されるのではなく、悪霊が支配している所になったということさえ言えると思います。
イエス・キリストはこのような世界に生まれてきて、その現実をよく知っていましたが、「神の国が近づいた」と宣言します。確かに、神は人間に創造のわざにあずかることを求めていますが、この世界の完成、つまり、神の国の実現は、人間の協力に頼らずとも、神ご自身の果たし得るわざなのです。人間が神の招きを無視しているがゆえに、世界が間違った方向に向かっても、神の国は遠ざかっているのではなく、それに近づいているという宣言が福音、良いお知らせなのです。
いつか必ず到来する神の国に入るために、私たちは悔い改める必要があります。それはイエスに従うことによって、自分の考え方や価値観や生き方を、イエスが教えてくださった考え方や価値観や生き方に変えるということなのです。

全能永遠の、神である父よ、
わたしたちの行いがいつも
み旨にかなうよう導いてください。
御子キリストのうちにあって
豊かな実を結ぶことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、
支配しておられる御子、
わたしたちの主
イエス・キリストによって。アーメン。