1月14日 年間第2主日B年 (ヨハ1,35-42)

「ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。 そして、歩いておられるイエスを見つめて、『見よ、神の小羊だ』と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。」ヨハ1,35-37

神の指示に従って、ユダヤ人たちは神に小羊や他の動物をいけにえとしてささげることによって神を礼拝したり、いただいた恵みに感謝したり、新たな祝福や犯した罪のゆるしを願ったりしました。これは、そのとき神のことを殆ど知らなかった人たちが神と関わる方法、人間が神に近づくためのその心の状態や理解力に合わせて神が与えられた方法でした。

残念ながら、時が立つにつれて、この儀式は人の心の状態と何の関係もない形式的なものになりました。そのために、人々はそれを行うことによって神に近づく代わりに、神から遠ざかっていったのです。

洗礼者ヨハネは、イエスを見て、彼が「神の小羊」であると宣言しました。「神の小羊」というのは、神が人類に与える捧げ物であるという意味だったのでしょう。要するに、イエスこそ、神が人類に近づく、人々と交わる新しい方法であるということです。

残念ながら、人々はこの賜物を喜んで受け入れる代わりに、神の望みに逆らって、イエスを十字架につけ、殺してしまったのです。もし、人類の歴史がその瞬間で終わったならば、神に近づく希望が完全になくなったし、人類は永遠に神から離れた状態に留まり、つまり、永遠の死に定められたことになったに違いありません。

幸いにイエスは、ご自分を十字架につけた人々のためにゆるしを願ってから、ご自分の命を神にささげました。それによって、イエスは人間が犯したこの最も大きな罪を完全な奉献に変えてくださったのです。この奉献のおかげで、人間が神との親しい交わりに生きることが可能になったと同時に、神の命にあずかることによって、神の子どもになることも可能になったのです。

神の小羊であるイエスのいけにえの実りにあずかるために、今私たちは、イエスの最初の弟子と同じようにただイエスに近づき、イエスと絆を結び、親しい交わりのうちに生きるだけで十分なのです。

天地万物を治められる神よ、
あなたの民の祈りをいつくしみをもって聞き入れ、
世界に平和への道を示してください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、
支配しておられる御子、
わたしたちの主
イエス・キリストによって。アーメン。

年間第1土曜日 (マコ2,13-17)

「イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。』」マコ2,17

どこにでもおられ、何でも見ておられる神が存在しさえしなかったならば、人間は罰せられずに、何の心配もすることなく罪を犯すことができたと思う人がいますが、それは大きな誤解なのです。罪を犯した人が体験しているいろいろな苦しみは、神が与える罰ではなく、罪の結果なのです。医者が病気の人を癒すように、神は罪によって苦しみ、自由を失った人を助け、解放するように働いておられる方なのです。

私たちは、罪を犯すことがあれば、私たちを愛し罪から解放することのできる方が、一緒にいてくださることに希望を見出して、レビのように心を開いて、罪の最終的な結果を味わうことにならないうちに、癒しの恵みをいただくことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び、光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第1木曜日 (マコ1,40-45)

「しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。」マコ1,45

イエスは重い皮膚病を患っている人に触れることによって、実際にこの人を清めましたが、ユダヤ人の法律上、逆にイエスが汚れたものになりましたので、癒された人が清くなったという証明書を祭司からもらわない限り、イエスは公の場所に行くことができませんでした。癒された人がイエスの言葉に従わなかったために、町に入ろうとしたイエスは自分の計画を実現することができませんでした。けれども、イエスが「人のいない所に」とどまっていても、(もしかして町に滞在していた人よりも)多くの人が四方から集まったので、かえってイエスは元の計画よりも、大きな働きをすることができたのです。

私たちは邪魔されて、思い通りにならないときにも気を落とすことなく、悪や他の望ましくないことから、より大きな善を引き出すことのできる神を信頼して、与えられた使命を果たすために、働き続けることができますように祈りましょう。

聖なる父よ、
あなたはキリストによってわたしたちをあがない、
神の子どもとしてくださいます。
あなたの愛を受けた民を顧み、御子を信じる人々に、
まことの自由と永遠の喜びをお与えください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。