「見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。 見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前を進む。」イザ40,10
イスラエル人たちは、神に背いて罪を犯すことで、神から離れて生きる悲しみと苦しみをよく知っていました。そして、神のもとへと導く道を教えられても、自分の力だけでは立ち戻ることができないということも知っていたのです。彼らの状態は絶望的であるように見えましたが、預言者イザヤを通して神は彼らに大きな希望を与えてくださいました。それは神ご自身が彼らのところに来られ、彼らが罪を犯すことによって作った神との距離を、なくしてくださるという約束がもたらす希望でした。そのようなイスラエル人たちがやるべきことはただ一つでした。それは、心を準備して、彼らのところに来られる神を受け入れることであったのです。
実際に、神はイエス・キリストにおいてイスラエル人のところに来られ、この約束を成就してくださいましたが、彼らには心の準備ができておらず、待ち望んでいた救い主を受け入れる代わりに、十字架につけて殺してしまったのです。幸いに、人間が神に逆らっても、人間には神の救いの計画を滅ぼすことはできませんでした。神はキリストの死によって、罪の結果である死を滅ぼし、イスラエルの人々だけではなく、すべての人に永遠の命の可能性を与えてくださったのです。
この永遠の命とは、イエスと愛の絆によって結ばれて、三位一体の神との愛の交わりに入るということなのです。イエス・キリストはこの可能性を実現するために一人ひとりのところに来られ、ご自分との交わりへと招いてくださいます。この招きに応えてイエスを受け入れるために、私たちは常に心の準備をしなければなりません。この準備とは、自分の生き方を正すこと、つまり、キリストの教えに逆らう振る舞いをやめるように努力しながら、キリスト自身の生き方を身に付けるように努めるということなのです。
恵み豊かな神よ、 御子を迎えに急ぐわたしたちが、 あなたの力に強められて罪の妨げに打ち勝ち、 キリストに結ばれることができますように。 聖霊の交わりの中で、 あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、 わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。