年間第28月曜日 (ルカ11,29-32)

「南の国の女王は、裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。この女王はソロモンの知恵を聞くために、地の果てから来たからである。ここに、ソロモンにまさるものがある。」ルカ11,31

自分の病気を認めない人、または、自分の病気を認めても、治る可能性を信じず、それを求めない人、それとも、自分の状態にあまり慣れすぎているためとか、それを自分のアイデンティティや誇りにしているために、治りたくない人をどのように癒すことができるのでしょうか。この人の状態は、絶望的に見えるかもしれませんが、すべての人を愛し、一人ひとりのために真の幸せを求めておられるイエス・キリストは、希望を失うことも、この人を諦めることもなく、この人を助けるように常に働いておられるのです。

イエス・キリストの救いの働きによって、ますます多くの人が、自分の魂の病気を認めると同時に、この病気が癒されないかぎり、自分の心の望みに従って、本当に幸せに生きることができないという事実を素直に認めて、体の病気だけではなく魂の病気も癒すことのできる、イエス・キリストにおいて希望を見出し、イエスのもとに来て、癒していただく恵みを受け入れることができますように祈りましょう。

全能の父よ、
あなたはアビラの聖テレジアを聖霊によって導き、
神との一致に達する道を教会に示してくださいました。
聖女の教えを心の糧とし、
聖性へのあこがれに目覚めることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
聖なる父よ、
あなたはキリストによってわたしたちをあがない、
神の子どもとしてくださいます。
あなたの愛を受けた民を顧み、御子を信じる人々に、
まことの自由と永遠の喜びをお与えください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第27土曜日 (ルカ11,27-28)

「イエスは言われた。『むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。』」ルカ11,28

聖母マリアは、神の招きを受け入れたので、神の御ひとり子であるイエスがマリアの人生の中に入りましたが、神の言葉であるイエス・キリストに最後まで忠実に従い、自分のすべてをささげたからこそ、イエスとの関係が完成され、マリアはイエスを通して、父である神と一つになったのです。

私たちは聖母マリアに倣って、洗礼を受けたことによって私たちの心に生まれたイエスと共に生き、どんな状況においてもイエスに信頼を寄せ、イエスに忠実に従うことによって、イエスとの関わりが深められ、完成されますように祈りましょう。

すべてを照らしてくださる神よ、
あなたは、暗やみにさまよう人たちがまことの道に立ち帰るように、
真理の光を輝かせてくださいます。
洗礼を受けたすべての人が、信仰に反することを退け、
キリストに従って生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

10月15日 年間第28主日 A年 (マタ22,1-14)

「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。」マタ22,2-3

多くの人々は、置かれている境遇に左右されています。自分の想像や期待通りになっている時は、喜びや安心を感じて、幸福感を味わっていますが、そうでない時は、がっかりして、怒り、不満、悲しみ、不安というような感情が湧き出て、人は不幸になります。

聖パウロは「自分の置かれた境遇に満足することを習い覚えた」(フィリ4,11)と書いて、自分の精神的な状態は、周りの環境に支配されないようになったと告白します。このことが可能になったのは、つまり聖パウロが外部の境遇の影響から解放されたのは、彼を強めてくださったイエス・キリストのお陰だと言っています。

永遠に続く幸福を象徴している婚宴には、すべての人が招かれています。残念ながら、この招きを断る人がいます。この人たちは、自分の思いに従って幸せになろうとしていますが、彼らが頼りにしているものは変化しやすいもので、何時か必ず過ぎ去るものですので、彼らが味わっている幸福感は一時的なものにすぎないのです。

イエスの招きを受け入れて、宴会に参加する人が、変わることのない永遠に続く幸福を味わうことができるのは、イエスが彼らに特別に美味しい食べ物や飲み物を与えるからではありません。それは、イエスが彼らにご自分自身を与えるからなのです。

死に打ち勝って永遠に生きておられるイエスが、永遠に続く喜びの唯一の源ですので、イエスを愛さなければ、たとえ天国に入っても幸せにはなれません。けれども、イエスを愛すれば、天国に入らなくても、聖パウロのようにどんな状況においても、幸せに生きることが可能になるのです。

すべてを治められる神よ、
あなたは先にわたしたちを愛してくださいました。
この愛に支えられるわたしたちが、
いつも心から兄弟に仕えることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。