年間第25月曜日 (ルカ8,16-18)

「ともし火をともして、それを器で覆い隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。」ルカ8,16

ともし火は、周りを照らしているときにのみ、つまり、自分のためだけではなく、自分以外のもののためにも存在しているときだけ、その存在に意義と価値があります。それと同じように、イエス・キリストの弟子、また、愛である神の子になった私たちの言葉や行い、私たちの人生全体は、私たち以外の人のためになっているときだけ、それには意味があり、価値があるのです。

ご自分のすべてを私たちと分かち合い、全力を尽くして私たちを生かしてくださる父である神に感謝しながら、父である神に倣って、いただいているすべての恵みを他の人と分かち合うことによって、父である神ご自身の愛の素晴らしさを示し、多くの人々の人生を照らすことができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたは聖なる司祭ピオをキリストの十字架の恵みにあずからせ、
その奉仕をとおして神のいつくしみの偉大さを表してくださいました。
聖人の取り次ぎによって、
わたしたちがキリストの受難に固く結ばれ、
復活の栄光へと導かれますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び、光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

9月24日 年間第25主日A年 (マタ20,1-16)

「自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」マタ20,15

常識的に考えれば、二人の人が全く同じ仕事をしている場合は、長く働いた方がより大きな報酬をもらうことが正しいことですが、イエスのたとえの中に登場する労働者は、長く働いても短く働いても、皆全く同じ報酬をもらいます。一番長く働いた人が不満を言っても不思議ではないでしょう。

けれども、イエスは人間の正義について語るのではなく、神の正義について語っておられます。もし、神の正義感が人間の正義感と同じならば、誰が神の国に入り、神の命にあずかることができるのでしょうか。聖パウロが言っている通り、「人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなって」(ロマ 3,23)いるからです。

幸いに、神の正義は人間の正義と全く異なるものです。神にとって本当に正しいことというのは、善に相応しい報いを与え、悪に相応しい罰を与えるということではなく、神の望みが実現されることで、神の約束が成就されることなのです。

実は、永遠の命とは、人間の良い行いのための報いではなく、神の無償の賜物なのです。そして、聖パウロが言っている通り、「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。」(1テモ2,4)。要するに、神は気前の良い方ですので、この最高の賜物をすべての人に与えたいと望んでおられるのです。

私たちは、この賜物を受けているかどうか確認したいならば、自分の行いを見つめる必要があります。なぜなら、救いの賜物を受けるとは、神の愛と命と共に、神ご自身を受け入れること、神の愛の内に、神と共に生きることであるからです。従って、私たちの行いがどれほど、神と完全に一致しておられたイエス・キリストの行いに似ているかということを見分けることによって、私たちがどれほど神の賜物を受けているかということが分かるわけです。

ひとり子を与えるほど世を愛された父よ、
あなたは愛のおきてによって、
すべてを完成に導いてくださいます。
わたしたちが互いに愛し合うことによって、
人々にあなたの愛をあかしすることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第24金曜日 (ルカ8,1-3)

「そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」ルカ8,3

マグダラのマリアと他の多くの婦人たちがイエスに従ったのは、イエスから何らかの利益を求めたからではなく、イエスと使徒たちに奉仕をすることによって、既に頂いた恵み、悪からの解放や癒していただくことを感謝したいと思ったからです。そのためにこそ、彼女たちは、イエスが力強く活動をなさっていて、多くの人々から尊敬されたときだけではなく、もう何もできないと思われたときも、イエスの仲間であることが危険であったときにも、イエスに従いイエスのそばにいることができたのです。

私たちはこの婦人たちに倣って、既にいただいている恵みを思い出して、必要に応じてイエスに従う動機を正し、どんな状況においても、イエスに忠実に生きることによって、イエスに対する私たちの愛が完成され、私たちも、イエスの勝利と復活の喜びにあずかることができますように祈りましょう。

すべての民の救いを望まれる神よ、 
あなたは韓国の人びとをご自分の民とするために
不思議な道によって信仰に招いてくださいました。
また百三名の殉教者のあかしによって
この地の教会の土台を固めてくださいました。
聖人たちの模範と取り次ぎに支えられて、
わたしたちも死に至るまで
あなたのことばに従って生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。