9月21日 聖マタイ使徒福音記者 (マタ9,9-13)

「イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、『わたしに従いなさい』と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。」マタ9,9

罪を犯すことによって人間が、自分をはじめ多くの人に害を与えるにもかかわらず、罪を犯し続けるのは、自分を生かしたいとか、もっと豊かな人生を送りたいとか、もっと楽しく生きたいとか、誰かと繋がりたいなどといった望みを満たす他の方法を見出せず、他のアイデアが思い当たらないからだと思います。

人間をそのような罪の暗闇から解放するために、イエス・キリストは罪の真の結果を教えるだけではなく、人間に使命を与えることによって、その人の人生に正しい方向付けと、人生の完成に導く道をも示してくださるのです。

私たち一人ひとりに素晴らしい使命を与えてくださるキリストに感謝しながら、私たちは聖マタイのようにこの使命を受け入れ、それを果たすことによって、他の多くの人を生かすと同時に自分を生かす、有意義な人生を送ることができますように祈りましょう。

すべての人の救いを望まれる神よ、
あなたは限りないいつくしみをもって
徴税人マタイを選び、使徒とされました。
わたしたちも聖人の模範にならい、
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第24水曜日 (ルカ7,31-35)

「では、今の時代の人たちは何にたとえたらよいか。彼らは何に似ているか。広場に座って、互いに呼びかけ、こう言っている子供たちに似ている。『笛を吹いたのに、/踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、/泣いてくれなかった。』」ルカ7,31-32

他の人の振る舞いや体験する出来事が思い通りにならない時、つまり期待外れである時に、それを悪いものとして決めつけることが多いのではないでしょうか。しかし、実際の問題は、他の人の振る舞いや出来事にあるのではなく、私たちの期待の方にある可能性もあるのです。

私たちは、他の人や神に対して持っている期待が、非現実的なものや根拠のないものであるときに、その事実を素直に認めることによって、その人や神を訴えるのを諦めて、相互の関係を正すことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
あなたを深く愛する心をお与えください。
すべてにおいてあなたを愛し、
人の思いをはるかに越えたしあわせに
あずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第24火曜日 (ルカ7,11-17)

「イエスは、『若者よ、あなたに言う。起きなさい』と言われた。すると、死人は起き上がってものを言い始めた。イエスは息子をその母親にお返しになった。人々は皆恐れを抱き、神を賛美して、『大預言者が我々の間に現れた』と言い、また、『神はその民を心にかけてくださった』と言った。」ルカ7,14-16

キリストを通して父である神は、すべての人々に体の復活を約束してくださったので、どんな人でも、復活するという確信を持つことができます。従って、肉体的な死よりも霊的な死を、つまり、復活しても神からと同時に愛している人々から、永遠に離れる状態を恐れる必要があるのです。

私たちは、イエス・キリストによって父である神とのますます深い交わりのうちに生き、神が私たちの中で、また私たちを通して、ますます自由に、ますます力強く働き、霊的な死に向かって生きている人に、特に意識的に神から離れ罪に生きている人や、自分に対する神の計画を無視して、何の目的もない人生を送っている人に、そして、いろいろな不幸を体験して、神の愛と力を疑って絶望に陥った人に、ご自分の命を吹き込んでくださるように祈りましょう。

すべてを一つに集めてくださる父よ、
信じる人々が、
あなたにふさわしい礼拝をささげることができるのは
あなたの恵みによるものです。
今ここに集まっているわたしたちが、
約束された国に向かってともに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。