年間第23月曜日 (ルカ6,6-11)

「律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた。」ルカ6,7

善を行えば、周りのすべての人が必ずしも喜んでくれるとか、感謝してくれるとは限らないでしょう。時に、誰も感謝してくれないだけではなく、誤解されること、怒られることや攻撃されることもあるのではないでしょうか。

私たちは、イエスと同じように真の愛によって、利己心やいろいろな恐れから解放されて、人の反応に左右されることなく、善を行い続けることができますように祈りましょう。

万物を治められる神よ、
世界の歩みを力強く導いてください。
現代に生きる教会が人々に仕え、
平和のために尽くすことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第22土曜日 (ルカ6,1-5)

「ファリサイ派のある人々が、『なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか』と言った。」ルカ6,2

非常に多くの人が、ファリサイ派の人々と同じように、いろいろな言い伝えや習慣や決まり、また、慣れや執着や迷信などのようなものに束縛されるために、正しい判断も、善を行うこともできずに、人間らしく生きること、人間として成長することもできないのです。

私たちは、イエス・キリストから真の善や真の悪が何であるかを学び、いろいろな束縛から解放されますように、そして、周りに言われていることに振り回されることなく、イエスと同じように悪を避け、善を行いながら、愛に生きることができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたの恵みは限りなく、
人の思いをはるかに超えて世界の上に注がれます。
わたしたちを罪の重荷から解放し、
まことの自由に導いてください。 
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

9月10日 年間第23主日A年 (マタ18,15-20)

「『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。」ロマ13,9

すべての人々が本能的に平和を求めているはずですし、昔から、大勢の人が個人的に、また、いろいろな組織をとおして平和のための活動を行ってきました。それにもかかわらず、この世から戦争や争いがなかなか消えないのです。人々が求めている平和というものが、そもそも実現不可能なのでしょうか。むしろ、平和の実現の方法が間違っているのではないでしょうか。

「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」(ヨハ 14,27)と言われたイエスは、普段人々が実現しようとしている平和と、ご自分自身が与えようとされる平和が、異なるということを教えてくださるのです。

「平和の君」であるイエス・キリストが自分の行いによって、私たちに与えたい平和への道を示してくださいました。イエス・キリストは、何の悪も行わなかっただけではなく、誰も無視せず、誰に対しても関心をもち、困った人には必要な助けを与えておられました。それから、自分に対して罪を犯した人や自分を傷つけた人を必ずゆるし、彼らにも必要な善を与えてくださったのです。要するに、キリストはただ自分の仲間や自分に役立つ人だけではなく、知らない人や恩返しのできない人や、自分に害を与えようとした人さえ愛しておられたわけです。

イエス・キリストがすべての人々に与えたい平和というのは、ただ戦争や争いのない状態、つまり、多くの人が実現させようとしているような表面的な安定だけではありません。それは、すべての人々が相互の愛によって結ばれて、自分のためだけではなく、他人のためにも善を求め、互いに支え合い、助け合う状態なのです。

キリストの愛と平和をいただいている私たちは、愛を実行して、助け合い、ゆるし合うことによって、キリストの平和を全世界に広めることができるように祈りましょう。

聖なる父よ、
あなたはキリストによってわたしたちをあがない、
神の子どもとしてくださいます。
あなたの愛を受けた民を顧み、
御子を信じる人々に、
まことの自由と永遠の喜びをお与えください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。