8月27日 年間第21主日A年 (マタ16,13-20)

「イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。」マタ16,15-16

「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」というイエスの質問に関して、シモン・ペトロは、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。それは正しい答えでしたが、ペトロは自分自身が語った言葉の意味を、まだ正しく理解していなかったのです。

そのときペトロにとって、「メシア」は、政治的な支配者を意味していました。また「神の子」は、イスラエル人や神から特別な使命を受けた人を意味していました。ですから、メシアであり神の子であるイエスは、ペトロにとって、イスラエルの王になる使命を神から与えられた人を意味していました。イスラエルの王になる使命を神から与えられた人に従っていれば、自分がいつかその権力や富にあずかるという期待を持っても不思議ではないでしょう。けれども、そのような自己中心的な動機に基づいて、つまり自分の利益を求め、自分の計画を実現するためにイエスの仲間になる人は、途中、苦しみと出逢えば、ペトロと同じように自分を守るためにイエスを裏切り、イエスから離れる恐れがあるのではないでしょうか。

ペトロがイエスを裏切ったのは、とても悲しいことですが、ペトロはそれによって自分の弱さを知り、また、イエスにゆるされることによってイエスの愛の偉大さを知りました。そのときから、ペトロは自分が求めた目的や自分の計画ではなく、キリストが示してくださった目的に向かって、神の計画の実現に協力するようになりました。動機を変えたペトロは、最後までキリストに忠実に従い、彼の心が完全な愛で満たされたと同時に、彼の最も深い望みも実現されたのです。

永遠の父よ、
約束された聖霊を待ち望むわたしたちの祈りを
聞き入れてください。
移り変わる世界の中にあって、
わたしたちが心を一つにして愛のおきてを守り、
いつもまことの喜びに生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第20土曜日 (マタ23,1-12)

「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。」マタ23,2-3

律法学者やファリサイ派の人々は、神から与えられた力をただ自分の利益のためにだけ用いましたので、表面的には神に仕えるように見えても、実際には、彼らの心が神から遠く離れていたのです。

私たちは、イエスの教えと模範にしたがって、持っている力を自分の利益のためだけではなく、他の人を助けるためにも用いることによって、神との絆、また、他の人との絆がますます強められますように祈りましょう。

年間第20金曜日 (マタ22,34-40)

「イエスは言われた。『「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」これが最も重要な第一の掟である。』」マタ22,37-28

もし、人間が「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして」神を愛することができたならば、恐らくこの瞬間に、神と一つになったのではないかと思います。それこそ人生の目的であって、イエス・キリストがこの目的を目指して、ご自分の言葉と人生の模範によって、私たちを導いてくださるわけです。

私たちは、イエス・キリストに従うことによって、父である神との交わりを深め、神との絆を固めることができますように。そして、イエスのように生きることによって、多くの人々に神の愛を伝えることができますように祈りましょう。

すべてを治められる神よ、
あなたは先にわたしたちを愛してくださいました。
この愛に支えられるわたしたちが、
いつも心から兄弟に仕えることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。