「イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。」マタ16,15-16
「あなたがたはわたしを何者だと言うのか」というイエスの質問に関して、シモン・ペトロは、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。それは正しい答えでしたが、ペトロは自分自身が語った言葉の意味を、まだ正しく理解していなかったのです。
そのときペトロにとって、「メシア」は、政治的な支配者を意味していました。また「神の子」は、イスラエル人や神から特別な使命を受けた人を意味していました。ですから、メシアであり神の子であるイエスは、ペトロにとって、イスラエルの王になる使命を神から与えられた人を意味していました。イスラエルの王になる使命を神から与えられた人に従っていれば、自分がいつかその権力や富にあずかるという期待を持っても不思議ではないでしょう。けれども、そのような自己中心的な動機に基づいて、つまり自分の利益を求め、自分の計画を実現するためにイエスの仲間になる人は、途中、苦しみと出逢えば、ペトロと同じように自分を守るためにイエスを裏切り、イエスから離れる恐れがあるのではないでしょうか。
ペトロがイエスを裏切ったのは、とても悲しいことですが、ペトロはそれによって自分の弱さを知り、また、イエスにゆるされることによってイエスの愛の偉大さを知りました。そのときから、ペトロは自分が求めた目的や自分の計画ではなく、キリストが示してくださった目的に向かって、神の計画の実現に協力するようになりました。動機を変えたペトロは、最後までキリストに忠実に従い、彼の心が完全な愛で満たされたと同時に、彼の最も深い望みも実現されたのです。
永遠の父よ、 約束された聖霊を待ち望むわたしたちの祈りを 聞き入れてください。 移り変わる世界の中にあって、 わたしたちが心を一つにして愛のおきてを守り、 いつもまことの喜びに生きることができますように。 聖霊の交わりの中で、 あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、 わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。