「エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。『あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。』」ルカ1,41-45
キリスト者として生きるとは、死によって破壊された私たちの体が復活し、私たちの不滅の霊魂と再び結合することによって、私たちは、自分自身の自己同一性を保ちながら、神との完全な愛の交わりの内に、イエス・キリストと救われたすべての人々と共に、永遠に生きるという希望を以て生きるということです。マリアが霊魂も肉体もともに天に上げられたことの記念である「聖母の被昇天」の祭日は、私たちにこの希望を思い起こさせ、強めます。
マリアは、ガリラヤのカナで、召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」(ヨハ 2,5)と言われただけではなく、自らもこのように生きていて、イエスの母親のみならず、イエスに最も忠実に従う、イエスの弟子でもありました。こうして、マリアは、復活と永遠の命についての私たちの希望を思い起こさせてくださるだけではなく、ご自分の生き方を以てこの目的への道をも示してくださるのです。
マリアは、神が誠実な方であると同時に、いつくしみ深い方でもあると信じたからこそ、大きな希望と愛に満たされて、イエスに忠実に従うことができたわけですから、私たちも、誠実で、いつくしみ深い父である神に信頼して、イエス・キリストに忠実に従うことによって、できるだけ多くの人々に神の愛を示し、復活と永遠の命への希望を分かち合いながら、神との完全な愛の交わりに向かって歩むことができますように祈りましょう。
全能永遠の神よ、 あなたは、御ひとり子の母、 汚れのないおとめマリアを、 からだも魂も、ともに 天の栄光に上げられました。 信じる民がいつも天の国を求め、 聖母とともに 永遠の喜びに入ることができますように。 聖霊の交わりの中で、 あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、 わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。