「弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。『安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。』」マタ14,26-27
イエス・キリストは、宇宙万物の創造主である神の御ひとり子であり、御父からすべての権能を授かっておられる方でありますので、イエスの弟子になれば、もはや何の困難にも、何の苦しみにも悩まされることがないと思う人が大勢いるようです。このような期待を持っている人は、洗礼を受けた後に何らかの苦難と出逢えば、失望して、もはやイエスに信頼することができなくても、場合によってイエスから離れても、不思議ではないと思います。
確かにイエスは、私たちを悪から守ることを約束してくださいましたが、キリスト者を特別扱いして、絶対に悪と出逢わせないとか、苦しみを味わわせないとか、私たちのためにあらゆる問題を解決してくださるなどのような約束をしたわけではありません。
イエスの教会の礎になる使命、イエスを代表して地上に残された教会を指導する使命を与えられたペトロは、イエスに従った後にも、死に至るまでいろいろな危険や困難に逢ったり、いろいろな問題に悩まされたり、他に多くの苦しい体験をしたりしました。最初ペトロは自分の力にだけ頼っていましたので、危険や困難や苦しみに負け、そのためにイエスから離れたりしましたが、自分の力ではなくイエスを信頼するようになり、イエスの力に頼るようになると、ペトロは苦しい体験を、イエスから与えられた使命をよりよく果たすために、また、イエスとの絆を深めるために、利用することができるようになりました。そして、イエスを自分の命よりも愛するようになったペトロは、自分の殉教の死を完全な奉献に変えることによって、イエスから与えられた使命を全うするため、イエスと完全に一つとなるために利用することができたのです。
洗礼を受けることによってキリストの弟子、神の子となった私たちは、他の人と同じように、いろいろな困難や苦しみを体験することがありますが、私たちはペトロと同じように、悪から善を引き出す力を与えられていますので、どんな大きな悪に逢っても、この悪に負けることなく、イエスご自身、また、イエスの数え切れないほど多くの弟子と同じように、この悪を善に変えることができますように祈りましょう。
全能永遠の神よ、 わたしたちは、 聖霊によってあなたの子どもとしていただきました。 あなたを父と呼ぶわたしたちを、 約束された永遠のいのちに導いてください。 聖霊の交わりの中で、 あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、 わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。