年間第17月曜日 (マタ13,31-35)

「イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いないでは何も語られなかった。それは、預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『わたしは口を開いてたとえを用い、/天地創造の時から隠されていたことを告げる。』」マタ13,34-35

私たちが体験している現実と、イエス・キリストが現してくださる神の現実とは全く異なっていますので、イエスの教えに基づく神についての私たちの考えや想像を神ご自身と比較すれば、私たちの考えや想像は陰に等しいものになります。しかし、私たちの神についての考えや想像が、取るに足りないものであっても、それに私たちの心の中で神に対する愛を起こし、神を求めさせる力があるならば、陰ではない神の現実そのものは、どれほど素晴らしいことなのでしょうか。

私たちの神についての考えや想像は、いくら素晴らしいものであっても、神そのものではないことをはっきりと意識して、それに執着することなく、私たちの理解力も想像力も超える、無限の神に向かって歩むことができますように祈りましょう。

 

7月29日 聖マルタ (ルカ10,38-42)

「主はお答えになった。『マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。』」ルカ10,41

主イエスのためにする働きは、主の望みにかなうときだけ、本当に価値のあるものなのです。なぜなら、このような働きだけが、この人を主イエスと結び付ける絆を強め、主との一致に導くものであるからです。

私たちの働きが、いつも祈りの結果、主の言葉を受け入れる結果でありますように、聖マルタの取り次ぎによって祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたのひとり子は聖マルタの家を訪れ、
もてなしをお受けになりました。
聖女の取り次ぎを願うわたしたちも、
人々の中におられるキリストに仕え、
永遠の国に入ることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

7月30日 年間第17主日A年 (マタ13,44-52)

「高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」マタ13,46

最高の幸福のためにどうしても必要だと思われるものは、そう思う人にとって最も価値の高い宝物になります。人によって、それは物質的な富や健康であったり、仕事や娯楽であったり、学歴、社会的な地位や権力であったり、また、他人に認められることや多くの友人がいることであったりします。

しかし、人間の最高の幸福のために何よりも必要なのは、神の国、すなわち、神との愛の交わりであるということを、宝と真珠についてのたとえによってイエスが教えています。

たとえに登場する、宝が隠されている畑を見つけた人と商人が、見つけた宝や真珠を手に入れるために、自分の持ち物を売ったように、神の国に入るために、言い換えれば、神との愛の交わりに生きるために、今まで自分の宝と思われたものを手放し、それの束縛から自由になる必要があるのです。

今までの生き方への執着が強ければ強いほど、その生活の中心になっていたもの、頼りにして来た物を手放すのは、難しいことです。それができるために、聖パウロと同じように、キリストの愛の素晴らしさと、「万事が益となるように共に働く」(ロマ8,28)神の力の偉大さを知るようになることによって、今まで自分の宝になっていたものを、現実的に見直す必要があります。要するに、この宝と思い込んでいたものは、今まで非常に役に立っても、思ったほど価値がないこと、思ったほど力がないこと、それなりに良い物であっても、ないよりはあった方がいいようなものであっても、自分の幸福のためにどうしても必要なわけではないこと、場合によって真の幸福を妨げるものであることを、認める必要があるのです。

信じる人の希望である神よ、
あなたを離れてはすべてがむなしく、
価値あるものはありません。
いつくしみを豊かに注ぎ、
わたしたちを導いてください。
過ぎ行くものを正しく用い、
永遠のものに心を向けることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。