「僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』主人は、『敵の仕業だ』と言った。」マタ13,27-28
私たちは、毎日のように苦しみや悪を体験しています。この世に悪が存在しているがゆえに、神は良い方であると信じることのできない人や、神の存在そのものを否定している人がいるようです。神を信じるためだけではなく、神を愛することができるためにも、悪の由来、また、神と悪の関係を知る必要があると思います。
「毒麦」のたとえを通してイエスが教えてくださるとおり、そもそも創造主である神が、悪を創ってはおられないし、悪の存在を求めてもおられないのです。けれども、麦を育てるために畑を作った人は、毒麦にも生える可能性を与えたように、神は、人間に最高の善を与えるためにこの世界を創造されたことによって、悪が存在することをも可能にされたのです。
神が世界を創造してくださった最終的な目的というのは、人間が愛によって神と結ばれて、神の命にあずかり、永遠に神と愛の交わりの内に生きることです。人間は愛することができるために、神から自由意志を頂きました。しかし、自由意志は人間に愛する可能性を与えるだけではなく、悪を行う可能性をも与えています。残念ながら人間は、「敵」に騙されて、神に背いてから、この世に悪が生まれ、この世に苦しみと死が入り込んだのです。
神が人間から自由意志を奪い取れば、確かに、人間は悪を行うことができなくなりますが、同時に愛することもできなくなるのです。結果的に、最終的な目的に達することができず、永遠に不幸になりますので、自由意志と共に愛する可能性を失うことは、人間にとって最悪であると言えます。
人間が自由意志という賜物の本来の目的に逆らって、悪を行っても、神はこの人を諦めませんし、愛し続けています。神はご自分の愛を示すことによって、この人の心の中でご自分に対する愛を起こそうとし、ご自分との一致へと忍耐強く導いてくだるのです。
恵み豊かな神よ、 あなたを仰ぎ見る民に、 聖霊を惜しみなくお与えください。 信仰、希望、愛に燃えて、 いつもあなたのことばに従うことができますように。 聖霊の交わりの中で、 あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、 わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。