年間第13火曜日 (マタ8,23-27)

「イエスは言われた。『なぜ怖がるのか。信仰の薄い者たちよ。』そして、起き上がって風と湖とをお叱りになると、すっかり凪になった。」マタ8,26

存在しているすべてのものは、神の言葉によって創造されていますので、「風や湖」が人間となられた御言葉であるイエス・キリストに従うことは、それほど驚くべきことではないでしょう。そんな力を持っておられるイエスに自分の人生をゆだねる人は、誰よりも安心して生きることができるはずです。けれどもイエス・キリストは、すべてのものに対して権威を持っていても、この権威を私たちが期待している通りや想像している通りに用いることがありませんので、私たちを襲ってくるものに対して、イエスが無力であるように見えることも、また無関心であるように見えることもあるでしょう。したがって、実際に安心して生きるために、イエスの力を信じるだけではなく、イエスの愛と知恵を信頼する必要もあるわけです。

私たちは、どんな状況においてもイエスに忠実に従って、安心してイエスと共に生きることができるために、イエスに対する信仰と信頼を深めていくことができますように祈りましょう。

聖なる父よ、
あなたは倒れていた世界を、
キリストの死によって、
新しいいのちに立ち上がらせてくださいました。
信じる者を罪の束縛から解放し、
終わりのない喜びを味わわせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

7月3日 聖トマ使徒 (ヨハ20,24-29)

「イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』」ヨハ20,29

イエスに道を教えていただくように願った(ヨハ14,5)トマス、命をかけて(ヨハ11,16)イエスに従おうとしたトマスにとって、イエスの復活は何よりも望ましいことですので、イエスが復活したという知らせは何よりも喜ばしいことであったはずです。恐らく、トマスが他の弟子たちの証しを受け入れなかったのは、復活の可能性を疑っていたからではなく、自分自身をごまかさないように、イエスの復活が確実なことであることを確かめたかったからではないかと思います。そして、イエスが本当に生きておられることを体験したトマスは、もう何の疑問もなしに、自分の命をイエスにささげたのです。

主イエスが復活したことを信じた私たちは、信仰の恵みを感謝しながら、生きておられるイエスと共に生き、イエスの働きを体験することによって、この信仰とイエスに対する私たちの愛が、一層深まりますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、
復活したイエスを見て
信じた使徒聖トマを記念して祈ります。
聖人の取り次ぎに支えられて、
わたしたちも神の子イエス・キリストを信じ、
その名によって、
永遠のいのちを受けることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

年間第12土曜日 (マタ8,5-17)

「夕方になると、人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。『彼はわたしたちの患いを負い、/わたしたちの病を担った。』」マタ8,16-17

   イエスが一言だけ語ることによって、人の病気を癒してくださったところを見ると、イエスにとって人を癒すことは、非常に簡単なことであったように見えるでしょう。しかし、人々を癒すことが、イエスにとってどれほど大変なことであったか、人を癒すためにイエスはどれほど大きな「代価を支払った」かということが分かるためには、イエスの受難とイエスの十字架上の死を見る必要があるのです。

イエスがご自分の受難と死によってもたらした、救いの恵みを無駄にしないために、私たちは百人隊長のようにイエスの愛と権威を認め、心を開いて、体、心と魂の癒しの恵みを受け入れることができますように祈りましょう。

恵み豊かな神よ、
わたしたちの信仰、希望、愛を強めてください。
すべてに越えてあなたを愛し、
約束された永遠のいのちを受けることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。