6月24日 洗礼者聖ヨハネの誕生 (ルカ1,57-66,80)

「父親は字を書く板を出させて、『この子の名はヨハネ』と書いたので、人々は皆驚いた。すると、たちまちザカリアは口が開き、舌がほどけ、神を賛美し始めた。」ルカ1,63-64

洗礼者ヨハネの父、ザカリアは、息子の誕生のお告げを受けたとき、天使が言ったことを信じなかったがゆえに、何も話せなくなりましたが、天使に言われた通りに、生まれた息子にヨハネという名前を付けることによって、信仰と従順を表した結果、再び話せるようになり、偉大なわざをなさる神を賛美するようになったのです。

私たちは、自分の人生において神の力と神の働きの素晴らしさを体験することによって、父である神をますます強く信頼し、愛するようになり、自分の言葉と行いによって神を賛美し、洗礼者ヨハネのように、神の御ひとり子イエス・キリストを多くの人に紹介することができますように祈りましょう。

すべての人の救いを望まれる神よ、
あなたは洗礼者ヨハネを遣わし、
人々に救い主キリストを迎える準備をさせてくださいました。
あなたの民を信仰の喜びで満たし、
救いと平和の道に導いてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

6月25日 年間第12主日A年 (マタ10,26-33)

「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」マタ10,28

人はいろいろなものを恐れるために、不自由になったり、場合によってやりたいことや、やらなければならないと思うことが、全くできなくなったりします。そのために、何も恐れないようになりたいと思う人が沢山いるようです。けれども、恐れは人間の自己防衛本能の大事な一部ですので、危険なものに対して恐れを感じなければ、人間は生きることができないのです。

本当に問題なのは、私たちが恐れること自体というよりも、何が危険であるか、何が危険ではないか、つまり何が恐れられるべきか、何が恐れられるべきではないかということを、知らないことなのです。そのような無知のために、例えば、麻薬を恐れなくても、医者を恐れている人がいます。また、隣人を助けることを恐れても、他の人を騙したり、悪用したりすることを恐れていません。

イエス・キリストは、私たちに恐れるべきものと、恐れる必要のないものを示しています。けれども、それだけではありません。人間が恐れの奴隷にならないように、恐れによって麻痺状態に落とされないように、逆に恐れを乗り越えて、正しいことを実行するために必要な力をも与えています。

私たちはイエスと同じように、父である神の愛を体験して、この愛を最も大切な宝にし、自分の選択の基準にするならば、あらゆる怖れから解放されて、すべての人の善と幸福を求めておられる神が示してくださる道を、歩むことができるのです。

聖なる父よ、
あなたをいつも敬い、愛する心をお与えください。
あなたを愛して生きる者は見捨てられることがないからです。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

イエスのみ心の祭日A年 (マタ11,25-30)

「そのとき、イエスはこう言われた。『天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。そうです、父よ、これは御心に適うことでした。』」マタ11,25-26

イエスのみ心の祭日を祝う私たちは、私たちと同じように有限の存在であったイエス・キリストが、人間の心で愛することによって、無限の存在である神の愛を現してくださったことを思い起こし、感謝します。

私たちは、イエス・キリストをますます深く知ることによって、父である神の愛を知ることができますように。そしてこの愛をますます豊かに受け入れ、イエスと同じように神の愛に生きることによって、この愛をまだ知らない人に示すことができますように祈りましょう。

聖なる父よ、あなたは、
人類の罪のために刺し貫かれた御子のみ心のうちに、
限りないいつくしみの泉を開いてくださいました。
わたしたちが、
心からの奉献によってキリストの愛にこたえることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。