復活節第6月曜日 (ヨハ15,26—16,4a)

「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。」ヨハ16,2

人間を創造し、人間に命をお与えになった神は、この人間をご自分の御ひとり子を与えるほど愛しておられます。それにもかかわらず、人に害を与えたり、人を殺したりすることによって神に奉仕すると思う人が、現在も大勢います。この人たちは、どれほど神を知らないのでしょうか。そして、どれほど神から離れているのでしょうか。

私たちは、キリストによって神に近づき、神との交わりを深めることによって、父である神が本当にお望みになることを行い、神を証しし、神の真の姿を現すことができますように祈りましょう。

いつくしみ深い神よ、
復活節の典礼にあずかるわたしたちが、
その恵みを豊かに受け、
信仰の喜びを人びとに伝えることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

復活節第5土曜日 (ヨハ15,18-21)

「世があなたがたを憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい。あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。」ヨハ15,18

  イエスは真の愛に生き、真の愛を伝えることによって、偽りの愛で満足しようとしている人や、自分の利益だけを求める権力者に挑戦することになったので、この人たちに憎まれて、苦しめられました。私たちは、自分の人生がイエスと結ばれ、イエスと同じように真の愛に生きるならば、イエスの喜びだけではなく、イエスの苦しみにもあずかることを覚悟する必要があるのです。

私たちは、周りの人の反応によって左右されることなく、自信ではなく確信を持って(自分の力を信じるのではなく、イエスの力に信頼して)、イエスの道を歩み続けることができますように祈りましょう。

いつくしみ深い父よ、あなたは、
信じる人々を洗礼によって神の子どもとしてくださいます。
キリストの復活のいのちにあずかるわたしたちを、
神の国の完成に導いてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

5月21日 復活節第6主日A年 (ヨハ14,15-21)

「わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」ヨハ14,21

愛そのものは、形のないものですので、愛している人が自分の愛を表現しない限り、誰もこの愛を知ることができません。けれども、愛されている人は、愛されていることを認識するために、この表現を愛の表現として受け取らなければならないのです。

父である神は数えきれないほど多くのしかたで、私たちに対するご自分の愛を表してくださいます。この世界と私たちを創造してくださったこと、絶えず私たちの命を支えてくださることは、神の愛の表現です。神の愛のもっとも完全な表現というのは、イエス・キリストです。イエスの教えだけではなく、イエスの生き方、イエスの死と復活は、父である神の愛の素晴らしさと偉大さを現しています。イエスが遣わしてくださった聖霊もご自分の働き、特にキリストの神秘的な体である教会を生かし導くこと、神の言葉である聖書を私たちに与え、聖書の言葉をとおして私たちに語り、私たちの暗闇を照らし、慰め、癒し、力付けることによって、神の愛を現してくださるのです。

神はご自分の愛を、それ程までに強く表現しておられるにも関わらず、誰かがまだ神の愛を知らずに、神に愛されていることを認識していないとするならば、それは、自分の目や耳、特に自分の心を開いていないということになるのです。

ますます多くの人が神の愛の表現を読み取ることによって、神の愛を知るようになり、この愛を受け入れ、愛に生きることによって、自ら他の人のために神の愛のしるしになりますように祈りましょう。

全能の、神である父よ、
復活された主イエスの記念を真心こめて祝います。
この喜びを、
わたしたちが日々の生活の中に保つことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。