四旬節第5主日C年 (ヨハ8,1-11)

「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりの素晴らしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。」フィリ3,8-9

イエスと出会う前にパウロは、律法に逆らって罪を犯す人が必ず罰せられると考えていました。そして、この罰を恐れて、律法を守るように一生懸命に努力していたわけです。けれども、そのような動機は十分ではありませんでした。時に、律法に逆らう欲望の方が、罰に対する恐れよりも強かったので、この欲望に強いられて、自分の意志に逆らって、罪を犯すことがあったようです。律法は、パウロの罪を現わすことができても、彼をこの罪から守ることができなかったのです。

イエス・キリストと出会うことによって、パウロはまず次のことを知りました。すなわち、神は、その部下に対して横暴を極めている法律制定者のように、人間の現状を考えずにいろいろな掟を押しつけて、それに従わない人を罰するような方ではなく、その子どもを愛している父であり、いろいろな掟によって、幸せと豊かな命に導く善が何であるか、また、不幸と滅びに導く悪が何であるかを教え、私たちを正しい道、つまり幸せと豊かな命に辿り着ける道に導いてくださる方であり、この道からそれる人を罰することによってこの人の苦しみを増すのではなく、正しい道に戻るように励まし、力付ける方であるということです。この事実を知ったパウロは、罰に対する恐れから解放されましたが、パウロを罪の支配から解放したのは、イエスに対する彼の愛なのです。

パウロは、イエスの素晴らしさとイエスの愛の偉大さを知ってから、自らイエスを愛するようになりました。そしてその愛のゆえに、彼は何よりもイエスと共に、イエスの愛に忠実に生きることを求めるようになりました。この望みは、今まで得たものを保ちたいとか、苦しみを避けたいとか、自分の命を守りたいというような望み、つまり多くの場合に罪の原因となっていた望みよりも強いものでしたので、パウロはどんな状況においてもイエスと共に生き、イエスに従うことができました。イエスご自身が、父である神が示してくださった道だけを歩む方ですので、イエスに従うことによってパウロは、永遠の命と最高の幸福に導く道を歩むことができたわけです。

全能の、神である父よ、
御子キリストは、人々を愛してみずからを死に渡されました。
わたしたちも、この愛のうちに力強く歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。

四旬節第4主日C年 (ルカ15,1-3.11-32)

「すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。』」ルカ15,31

ファリサイ派の人たちは、一生懸命に神の掟を守るように努力しましたが、自分たちほど掟を守っていないと思った人を軽蔑したりして、罪人に対する優しい態度をとることによっていつくしみ深い神の愛を現していたイエスまでを批判しました。最終的に彼等はイエスを憎んで、イエスを排斥することによって、神の子が伝えた神の招きと共に神ご自身の愛を拒んでしまったのです。

考えてみれば、人間から愛しか求めておられない神が、私たちに掟を守って欲しいと望んでおられるのは、私たちが罰に対する恐れや何らかの報い欲しさで忠実な奴隷になるためではなく、愛に満たされた神の子になるためなのです。神が求めておられるように生き、神が示してくださった道を歩む人は、必ず父である神がいつくしみ深い方であるように、いつくしみ深い人になるものなのです。ですから、他の人に対して無慈悲な態度をとり、自分の行いに頼る律法主義者になっていたファリサイ派の人たちは、掟を守っているように見えても、実際に神がこの掟によって示してくださった道を歩んではいなかったということが分かります。

私たちは、ファリサイ派の人たちのように正しく生きようとしていても、神を愛するようにならずに、神と共にいることが私たちにとって何よりも大きな喜びにならないならば、たとえ神の国に入ったとしても幸せにはなりません。なぜなら、神の国というのは、食べたり飲んだりすることや他の手段によって体の感覚を喜ばせるところではなく、神と共にいて、神の愛と命にあずかる状態であるからです。

私たちは、イエス・キリストと共に生き、イエス・キリストがご自分の言葉と行いを以て示してくださった道を歩むことによって、神の愛といつくしみをますます深く知り、神に対する信頼と神との愛の交わりを深めることができますように祈りましょう。

聖なる父よ、
あなたは御子の苦しみと死によって、
ゆるしの恵みをもたらしてくださいました。
キリストを信じる人々が、
信仰と愛に満たされ、
主の過越を迎えることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって祈ります。アーメン。