年間第31主日B年  (マコ12,28b-34)

 「イエスはお答えになった。『第一の掟は、これである。「イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」第二の掟は、これである。「隣人を自分のように愛しなさい。」この二つにまさる掟はほかにない。』」マコ12,29-31

人間は愛に生きるために創造されましたので、愛に生きている時だけ幸せです。けれども、同時に人間は非常に弱い存在であって、恐れや欲望などによって束縛されていますので、いくら努力しても愛に生きることができませんし、誰かに愛されても、この愛を滅ぼしてしまうことも珍しくありません。幸いにも、愛は人間の努力の結果ではなく、人間を創造してくださった神、愛そのものである神が与えてくださる賜物なのです。しかも、愛は神が全ての人に与えたいと望んでおられる賜物なのです。

神は人間に掟を与えることによって、ご自分のもとへの道、つまり愛の源への道を示してくださいました。残念ながら、イスラエルの歴史、また、私たちの個人的な歴史が示している通りに、人間は正しい道、つまり、自分の最高の幸福である愛への道を知らされても、またこの道を歩み出しても、なかなか最後まで辿って行くことができません。

しかし神は、愛への道を知らせるに止まったのではなく、ご自分の御ひとり子をこの世にお遣わしにもなりました。神の御ひとり子であるイエス・キリストは、愛に根差したご自分の生き方によって、またご自分の受難、十字架上の死と復活によって、愛に生きることの素晴らしさ、神ご自身の愛の偉大さと力強さを現して、人々をご自分のもとへと同時に、愛の源である神のもとへと引き寄せながら、愛の源への道を歩むために必要な力を与えてくださるのです。

ますます多くの人々がイエス・キリストを知り、信仰と信頼によってイエスと結ばれ、いろいろな束縛から解放されて、心の中で求めている完全な愛に向かって生きることができますように祈りましょう。

すべてを一つに集めてくださる父よ、
信じる人々が、
あなたにふさわしい礼拝をささげることができるのは
あなたの恵みによるものです。
今ここに集まっているわたしたちが、
約束された国に向かって
ともに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第30週

28日(日) 年間第30主日

29日(月) 年間第30月曜日

30日(火) 年間第30火曜日

31日(水) 年間第30水曜日

11月

1日(木) 諸聖人(祭)

(長崎教区司教座教会献堂記念日)

2日(金) 死者の日

3日(土) 年間第30土曜日

(聖マルチノ・デ・ポレス修道者)、 (聖母の土曜日)、(大分教区司教座教会献堂記念日)

 

死者との交わり
「『旅する人々の教会はイエス・キリストの神秘体全体のこの交わりをよく認識し、キリスト教の初期の時代から、死者の記念を深い敬愛の心をもって尊び、「罪から解かれるよう死者のために祈ることは、聖であり健全な考えであるから」(二マカバイ12・45)、死者のための祈願をもささげてきました』(教会憲章50)。死者のためのわたしたちの祈りは、死者を助けるだけでなく、死者がわたしたちのために執り成すのを有効にすることができるのです。」(カトリック教会のカテキズム958)

年間第30主日B年 (マコ10,46-52)

「多くの人々が叱りつけて黙らせようとしたが、彼はますます、『ダビデの子よ、わたしを憐れんでください」と叫び続けた。』」マコ10,48

私たちがイエス・キリストを信じるというのは、盲人のバルティマイのように「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び、イエスを信頼して、イエスに私たちの暗闇を照らしていただくように、つまり歩むべき道を教えていただくように、願うということなのです。そして、バルティマイのように、今も私たちはいろいろな形で、例えばキリストの教えに逆らう消費主義や快楽主義の価値観や、それに基づく生き方を押しつけられることによって、「黙らせよう」とされています。つまりイエスに近づかないように、イエスが示してくださった道を歩まないようにされているのではないかと思います。

一生懸命に働いている消費主義や快楽主義の宣教師たちは、自分たちが何をしているか分からなくても、イエスに照らされている私たちは、彼らに騙されないように、イエスが示してくださった道を眺めるだけではなく、実際にこの道を歩むことによって、この道は本当に真の命に繋がっているということを、ますます強く自覚する必要があります。

以上の意味で、イエスを信じるというのは大きな恵みであって、幸せに生きるための大きなチャンスであると同時に、大きな責任を負うことでもあるのです。この恵みを無駄にせず、このチャンスを生かすように、やはり日常生活においてイエスの道を歩む必要があります。そのとき、自分たちが豊かな命に生きるようになるだけではなく、まだ暗闇に留まっているため、いろいろな偽預言者に騙されて死に向かって歩む人たちのために光となることによって、私たちは彼らに対する責任をも果たします。それによって、その人たちにも命に向かう道を見出すチャンスが与えられるわけです。

恵み豊かな神よ、
わたしたちの信仰、希望、愛を強めてください。
すべてに越えてあなたを愛し、
約束された永遠のいのちを受けることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。