キリストの聖体B年 (マコ14,12-16; 22-26)

「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えて言われた。『取りなさい。これはわたしの体である。』」マコ14,22

私たちを愛しておられるイエス・キリストが、いつも私たちと一緒にいたいという望みはよく分かっていても、何故、イエスはパンとぶどう酒、つまり食べ物と飲み物の形において、私たちのところに残ってくださったのかということが、分かりにくいかもしれません。

考えてみれば、私たちが生きるために、何よりも必要としているのは、やはり食べ物と飲み物です。また食べ物は、生きるために一番望ましいものであるうえに、近づきやすいもので、自分を生かすために誰でも遠慮なく用いるものです。おそらく、イエスが食べ物と飲み物の形において私たちと共に残ってくださったのは、私たちが体を養うために食べ物と飲み物を必要としているように、心と魂を養うためにイエスを必要としているということを示すためでしょう。それから、私たちが遠慮なく食べ物に近づいてそれを食べるように、安心してイエスに近づき、心を開いてイエスを受け入れれば、私たちは生かされるということをイエスが望んだのでしょう。

食べるだけで、体を動かさないならば、健康に害を与えることがあります。同じように、キリストの体を受け入れるだけで、キリストに倣って生きようとしないのは、害をもたらすものであることを忘れないようにしましょう。

人間が食べるものは、生きるために必要な力を人間に与えるだけではなく、その体の一部になります。けれども、ご聖体を拝領することによって私たちはキリストとますます深く結ばれて、キリストのようになっていきます。キリストと一体になることが、聖体拝領の最終的な目的であると言えるでしょう。

恵み豊かな父よ、御子キリストは、
その死を記念するとうとい秘跡を教会に残してくださいました。
主のからだを受け、救いの力にあずかるわたしたちが、
主の死を告げ知らせることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

 

年間第8土曜日 (マコ11,27-33)

「イエスは言われた。『では、一つ尋ねるから、それに答えなさい。そうしたら、何の権威でこのようなことをするのか、あなたたちに言おう。ヨハネの洗礼は天からのものだったか、それとも、人からのものだったか。答えなさい。』」マコ11,29-30

正しさや真実ではなく、自分の都合や利益を最優先して生きていたがゆえに、洗礼者ヨハネが真の預言者であったことを認めなかった祭司長たちや律法学者たちは、イエスが神ご自身の権威で働いておられることを知らされても、この事実を認めることができなかったのです。

私たちは日常生活において、正しいと思うことや真実であると思うことに、できる限り忠実に生きることによって、まことの正義と真実そのものである神を知り、受け入れることができますように祈りましょう。

全能永遠の神よ、
あなたの恵みは限りなく、
人の思いをはるかに超えて世界の上に注がれます。
わたしたちを罪の重荷から解放し、
まことの自由に導いてください。 
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。