最後の警告

3.警告

警告が起こる瞬間、一人ひとりの人は、神が私たちを見るように自分の魂の状態、また、創造主との関係の状態を見る、つまり、この状態を実際にあるように見ることになります。誰もこの真実を否定することも、何らかの形でそれを自分自身から隠したりすることも出来ません。すべての人々は、自分の前で受難のイエスの姿を見て、自分の行いとイエスの愛の絶え間ない拒絶によって、彼にどんな傷を負わせたかが分かります。さらに、一人ひとりが、その瞬間に死んで、最終的に神に裁かれたとしたら、自分の永遠がどうなっていたかをはっきりと認識するようになるのです。

黙示録の6番目の封印の開封が、この経験について語っています(黙6,12-17)[1]。それは、人の自己像を破壊し、この人の世界を変える地震のようなものです。自分自身を完全に欺いて、現実から随分離れていた自己像をもって生きていた人々は、自分の魂の実際の状態を見たら、それに耐えることができません。そして、永遠の罰の見通しによって引き起こされる恐れは、彼らが死にたいと思うほど大きくなるでしょう。

自分の真の状態を知ることによってほとんどの人が大きな痛みを経験するにもかかわらず、警告は、十字架上のイエスの死とイエスの復活の次に、最大の奇跡と神のいつくしみの最大の行為となるのです。多くの人々にとって、それは回心し、永遠の滅びを避ける最後のチャンスです。この永遠の滅びとは、完全な孤独と想像を絶する苦しみの中で、しかも、この状態がいつか変わるという希望なしに、また、この状態が自分自身の完全な責任であると常に意識しながら永遠に生きることなのです。

自分の魂の実際の状態と自分の生き方の永遠の結果を知らされてから、一人ひとりの人は、さらなる人生について、その結果を完全に知りながら、自由に決断する時間を与えてもらいます。黙示録においてこの時間は7番目の封印が開かれた後に天国で続いた大きな沈黙として表現されています(黙8,1)[2]。この沈黙とは、特定の期間、人は何の誘惑もされない、つまり、サタンにもこの世にも、自分の欲望や誤った確信にも欺くことがないということなのです。この独特の恵みのおかげで、神の招待を受け入れるか拒否するか、つまり神を選ぶか反対するかという決定は、完全に意識的で、自由で、責任のある決断となるのです。

警告のための最善の準備は、和解の秘跡を受けること、さらに、断食や償いを実践すること、そして大罪のない状態で生き続け、聖体拝領をできるだけ頻繁にすることです。警告の準備がよく整っているほど、間違った決定を下すリスクが少なくなり、この経験の成果が高まります。

多くの私的啓示の中で、イエスとマリアの両方が、警告の後、以前に教会から離れた多くの信者が教会に戻ること、また、キリスト者ではない多くの方は、回心して、洗礼を受けることを教えてくださいます。

警告と自由な決定のための時間は、神のいつくしみの最大の行為となるだけでなく、いつくしみの時代を締めくくる行為にもなるのです。その時から、正義の時代が始まります。いつくしみの門を通過することを拒否した人々は、正義の門を通過しなければならなくなるわけです。

4.反キリストの支配と最後の浄化 =>


[1] 「また、見ていると、小羊が第六の封印を開いた。そのとき、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようだった。天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、また、奴隷も自由な身分の者もことごとく、洞穴や山の岩間に隠れ、山と岩に向かって、『わたしたちの上に覆いかぶさって、玉座に座っておられる方の顔と小羊の怒りから、わたしたちをかくまってくれ』と言った。神と小羊の怒りの大いなる日が来たからである。だれがそれに耐えられるであろうか。」(黙 6,12-17)

[2] 「小羊が第七の封印を開いたとき、天は半時間ほど沈黙に包まれた。」(黙8,1)

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