4.反キリストの支配と最後の浄化
残念ながら、警告という神のいつくしみの偉大なわざの経験にもかかわらず、神の招待を拒否し、神に反対する人々がいるでしょう。このため、社会の二極化が進み、同時に神の敵の羨望と残酷さが深まり、警告の直後はキリストとその教会の勝利の時ではなく、激しい迫害の時となり、キリストの信者の多くは殉教の死を迎えるるでしょう。というのは、サタンは自分の使いを通して、あらゆる手段を用いて、警告の後に神を選んだ人々の決断を変えさせるように試みます。それから、キリストと共にとどまる人々を完全に全滅させることを目的とする厳しい迫害を起こすということです。神の言葉の予告によると、そのとき、42ヶ月間の反キリストの支配が始まります(黙11,1-2; 13,1-5)[1]。
反キリストが世界を支配し始めると、彼は自分自身が真のメシア、つまり人類に真の平和を与え、永続的な安全を確保し、問題のない幸せな生活を提供することができる唯一の人であると多くの人々に納得させます。この嘘を信じるキリスト者は、イエスにだまされたと感じたり、警告の経験が幻想や夢に過ぎなかったと考えたりするようになるかもしれません。そして、彼らは自分の決断を変えて、イエスの敵の側に立つでしょう。私たちはそのような危険を認識し、いかなる状況においても、メシアの名を名乗る人々の言葉を信用しないように気を付けなければならないのです(マタ24,4-24)[2]。
反キリストの欺瞞に屈することなく、迫害のさ中にもイエスに忠実であるキリスト者は、キリストに従う動機を清められ、イエスへの信仰、信頼と愛を深めます。このようにして、教会の浄化が完了します。忠実であり続けるキリスト者は、「小さな群れ」(ルカ12,32)[3]になりますが、この「残りの者」から新たな教会が生まれるのです。
反キリストは人々の愛を自分自身に向けさせることができないので、彼は自分自身への恐れを呼び起こし、全体主義的支配の制度を通して人々に自分自身を神であるかのように崇拝するように強制します。キリスト者たちは、反キリストの支配下の世界に生きる権利がないので、生き続けるために隠れることが必要になります。この状況は、イエス・キリストのご遺体が墓に置かれ、使徒たちが最後の晩餐が行われた部屋に隠れていて、イエスを死に至らしめた人々が勝利を祝っていた三日間に似たものになるでしょう。
多くの私的啓示において、イエスとマリアは、黙示録の中で(黙12,1-5)[4]マリアと教会の両方の象徴である女性のために避難場所が用意されたように、キリスト者のために避難場所を準備することを約束します。一部のキリスト者にとって、それは物理的な避難所、つまり迫害者から隠れて、共同生活を送ることの出来る特定の場所となります。けれども、すべてのキリスト者にとって最も確実な避難所とは、マリアの汚れなき御心という霊的な避難所なのです。したがって、これらの物理的な避難場所に案内されるかどうかにかかわらず、すべてのキリスト者は自分自身を母マリアに自己奉献することによって、マリアの特別な保護を確保する必要があるのです。
反キリストの支配とキリスト教徒の迫害は、3日間の暗闇で終わります。これらの3日間の間に、地球はすべての悪とサタンのすべての使いたちから完全に清められます。要するに、イエス・キリストの次の約束が成就されるのです。「刈り入れの時、『まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい』と、刈り取る者に言いつけよう」(マタ13,30)。その間、必ず自分がいる家にとどまりながら、祈らなければならないことを決して忘れてはいけません。そして、外で何が起こっているかという好奇心がいくら強くても、窓から外をのぞかないように気を付けなければならないのです。
明かりが再び戻るとき、平和の時が始まります。それは、黙示録で「キリストの千年の大国」と呼ばれている時で(黙20,1-4)[5]、世界平和の実現についての預言者イザヤの予言(イザ 2,2-5)の成就の時です。要するに、「御国が来ますように」という私たちの願いに応え、神は地上でご自分の国を実現してくださるわけです。
この平和の時の後にのみ、キリストが再臨されて、この世界の歴史を終わらせるのです。
[1] 「それから、わたしは杖のような物差しを与えられて、こう告げられた。『立って神の神殿と祭壇とを測り、また、そこで礼拝している者たちを数えよ。しかし、神殿の外の庭はそのままにしておけ。測ってはいけない。そこは異邦人に与えられたからである。彼らは、四十二か月の間、この聖なる都を踏みにじるであろう」(黙11,1-2)。
「わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた。この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。「だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。」この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。」(黙13,1-5)
[2] 「イエスはお答えになった。『人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、「わたしがメシアだ」と言って、多くの人を惑わすだろう』」(マタ 24,4-5)
「そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである」(マタ24,23)。
[3] 「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」(ルカ 12:32)。
[4] 「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた」(黙 12,1-5)。
[5] 「わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した」(黙 20,1-4)。
イザヤの予言(イザ 2:2-5)
「終わりの日に
主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち
どの峰よりも高くそびえる。
国々はこぞって大河のように
そこに向かい多くの民が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主はわたしたちに道を示される。
わたしたちはその道を歩もう」と。
主の教えはシオンから
御言葉はエルサレムから出る。
主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし
槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
ヤコブの家よ、主の光の中を歩もう。」