1. 「父よ、彼らをお赦しください」

 

「ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。『されこうべ』と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。〔そのとき、イエスは言われた。『父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。』〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。」ルカ 23:32-34

 イエスを裁いたローマの総督ピラトが、何の罪も見ださなかったにもかかわらず、イエスを十字架に付けるという残酷な死刑の判決を下しました。イエスは、そんな不正に対する報復を求めないし、ご自分を助けることも求めません。この不正を企てた人々のために父である神に取り成して、ご自分を苦しめ、十字架に付けた人々のために赦しを願います。

 イエスを不正に裁いて十字架に付けた人々は、心を閉じていたので、イエスの愛を知ることが出来ず、自分たちが心の中で求めていたものをイエスが与えることの出来る方であるという事実を見出すことができませんでした。彼らは、イエスを死刑に定めたことによって、イエスが彼らに与えようとしておられた愛を拒みましたが、この愛を滅ぼすことが出来ませんでした。イエスは、彼らのために神の赦しを願って祈ることによって、彼らが自分たちの心を開き、イエスの愛を見出し、それを受けることを今でも求めておられること、要するに彼らを愛し続けておられることを表すのです。

 父である神と完全に一致しておられるイエス・キリストは、ご自分の言葉と行いをもって、人間に対する神の愛を表してくださいました。十字架上でのイエスの願いは、神ご自身の望みを表しています。それによって、神はご自分の愛を無視している人をも、この愛を悪用しようとしている人をも、この愛を滅ぼそうとしている人をも愛していられるという事実がはっきりと分かります。実は、イエスの言葉は、ご自分との和解への神ご自身の呼びかけなのです。今、神は、私たちの返事を待っておられるのです。

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