3・4.「御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。」

イエス・キリストが、公の活動を始められたときに、「天の国は近づいた」と宣言して「悔い改めよ」と呼びかけました(マタ4,17)。その時以来、イエスは特にたとえを以て神の国はどういうものであるかを説明しました。実は、神の国が近づいたというメッセージは、イエスが語られた福音の中心、または、福音そのものであるということさえ言えると思います。

イエス・キリストが語られた神の国とは、神との愛の交わりに生きること、しかも、この交わりの完成の結果として神と一体になることです。この意味の神の国は、創造のわざの最終的な目的、人生の目的、つまり、私たち一人ひとりが生まれた最終的な目的なのです。罪を犯して、神から離れてしまった人間にとって、この目的に達することが不可能になっていましたが、神の御独り子の受肉をはじめ、イエス・キリストの十字架上の死と復活、また、昇天によって神との愛の交わりが再び可能になったのです。これこそ、救いの計画の実現ですので、イエス・キリストはご自分の到来と共に、神の国が近づいたと宣言することができたわけです。

神の国の到来を宣べ伝えたのみならず、神の国を実現してくださったイエスは、「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである。」(マタ7,21)ということをも教えてくださいました。考えてみれば、イエス・キリストがすべての人々に神の国に入る可能性を与えることができても、だれ一人も、強制的に神の国に入れることができません。なぜなら、「神の国に入る」ということは、どこかの国に入国するようなこととか、どこかの家や部屋に入るようなことではないからです。「神の国に入る」とは、神との愛の交わりに入ること、しかも、この交わりの完成である一致に達することですので、神の愛とともに神の招きを受け入れること、つまり、自由意志に基づく人間の自己奉献が必要です。人間は、神の意志に従って生きることによって、つまり、自分の意志を神の意志に合わせることによって神に自己奉献し、神との交わりを深め、完全な一致に近づくわけです。ですから、「天の父の御心を行う」ことは、神の国に入る条件ではなく、神の国への道なのです。神との完全な交わりを目指して、イエスの導きに従い、神と心を一つにしておられたイエスに倣って生きることこそ、「悔い改めよ」というイエスの呼びかけへの私たちの応えなのです。

神の国の実現と、すべての人々が神の意志に合わせて生きることを願うことは、私たちの神との愛の交わりが完成されることを願うことなのです。

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5.  「わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」