4年間第30土曜日 (ルカ14,1.7-11)

「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」ルカ14,11

自分の価値を知らない人は、他の人から誉を求めたり、別の人を批判したり、軽蔑したりすることによって自分を高めようとしています。けれども、イエス・キリストのように、父である神に愛されていることを知ることによって、自分自身の真の価値を知っている人は、自分と同じように神に愛されている他の人の価値を見出し、周りにいる人たちを高めるように、つまりこの人たちも自分の価値を知ることがでるように、この人たちに奉仕します。

私たちが、私たちに対する父である神の愛をますます強く自覚することができますように。そして、安心して、この愛を他の人と分かち合うことによって、この人を高めながら、父である神との愛の交わりを深めることができますように祈りましょう。

全能永遠の、神である父よ、
わたしたちの行いが、
いつもみ旨にかなうよう導いてください。
御子キリストのうちにあって、
豊かな実りを結ぶことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

11月5日 年間第31主日A年  (マタ23,1-12)

「あなたがたのうちでいちばん偉い人は、仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」マタ 23,11-12

律法学者たちやファリサイ派の人々は、神が与えてくださった掟に従えば、神から祝福を受ける、つまり報いを与えられると信じていました。しかし、彼らにとって神の祝福を受けるとは、自分の欲求を神に満たしてもらうということでした。そして、掟を守るように一生懸命に努力しても、自分の欲求はなかなか満たされなかったので、神を頼りにすることを諦めて、力が許す限り、自分で自分の欲求を満たそうとするようになったようです。

彼らが自分の努力によって手に入れることができたのは、会堂の上席に座ることや、挨拶されることや、先生や教師と呼ばれるというような、ユダヤ人の世界の中のちょっとした特権だけでしたので、その特権によって自分たちが偉い人間であると感じることができたでしょうし、そんな自分のことで満足していたかもしれません。しかし、彼らの心は、信頼せず、頼ることのできなかった神と、彼らが軽蔑していた人々から離れていたので、彼らが得たことよりも、はるかに大切なもの、本当の価値のあるものを失っていたわけです。

神がくださった掟やイエスの教えは、自分たちの欲求を満たすための条件ではなく、創造主である神が定めた人生の目的への道を示す道標であり、神を信頼して、この道標に従う人は、すでに神の命にあずかり、神との交わりの内に生きて、人間として成長していることをますます多くの人が意識して、イエス・キリストとともにこの道を歩むことができますように祈りましょう。

すべてを一つに集めてくださる父よ、
信じる人々が、
あなたにふさわしい礼拝をささげることができるのは
あなたの恵みによるものです。
今ここに集まっているわたしたちが、
約束された国に向かって
ともに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

11月3日 年間第30金曜日 (ルカ14,1-6)

「イエスは病人の手を取り、病気をいやしてお帰しになった。そして、言われた。『あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。』」 ルカ14,4-5

人間の愛は、どれほど大きなものであっても、それは必ず、神が与えてくださった賜物でありますし、神ご自身の愛の偉大さの非常に小さな写しに過ぎないものなのです。

人間の愛を通してご自分の愛を現してくださる神に感謝しながら、他の人の愛を経験することによって、神ご自身の愛をますます強く実感し、この愛を受け入れることによってあらゆる束縛から解放されますように。そして、自ら愛に生きることによって、神の愛を他の人に示すことができますように祈りましょう。